「こうするしかない」って思わなくなった(とりとめのない記録)
ふと「なんかわたし、言葉を表に出す能力が落ちているかも? 由々しき事態!」と思ったので、ここはひとつnoteになにかとりとめのないことでも書くか、というわけで、来ました。
「言葉を表に出す能力」はいわゆる文章力―「的確な言葉や表現を使って、意図を伝える能力」とは少し違っていて、自由に思っていることを不特定多数の人が見ているであろう場所に出す恥じらいのなさ、みたいなものです。
noteほど、いい感じに、とりとめのないことを書くのに適した媒体があろうか。
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今日は家族で、大きな公園に行きました。遊具とかはなにもない、ひたすら、散歩コースと大きな沼がある公園です。彼岸花がたくさん咲いていました。とてもよかった。
すっかり涼しくなってきて、もはやちょっと肌寒いくらいで、ぼんやり散策したり家族の写真を撮ったりしながら、ふと思ったことがあります。
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それは、かつてのわたしは、目指したい状態があっても、そこへ到達するためのルートが摩擦が多そうに見える場合、その欲求自体をひっこめて存在していなかったことにしてしまうことが実に多かった、ということ。
今はそういうことが減って、よかったなあ、と。
話が、抽象的すぎて伝わらないですかね。
たとえば、わたしが高校生とかで、Aちゃん(仮)というクラスメイトと仲良くなりたいな、あまり話したことないけどもっと話したいな、と思ったとします。仮に。でも、わたしの大親友Bちゃん(仮)は、Aちゃんのことがあからさまに嫌いだったとします。
そうしたときに「ああ、わたしがAちゃんと仲良くしたら、Bちゃんはあんまり良く思わないかもしれないな??」と、確認してもいないのに、潜在的に勝手に思い、「Aちゃんと仲良くなりたい」という欲求そのものを、なかったことにしていた(自覚しないようにしてた)、みたいなことです。(これは、架空のはなしなので、実際はそういう体験をしたことはないけれど……)
たとえばそんなような、摩擦や恥じらいやめんどうくささなどを避けたいがために、自分の欲求自体をはじめから「無いもの」にしていたことが多かったな。たまたま、人間関係の例を出してしまったけど、人間関係だけではなく、全般的に。
なんでしょう、「もうこうするしかない!」「こうしておくのがいちばん波風立たないんだ!」って勝手に決めつけて、はじめから、そんな思いはなかったことにしちゃう、みたいな。根暗だ。笑
早いはなし、人間というものをあんまり信じていなかった、と言えるかもしれない。自分のことも、他人のことも、あんまり信じていなかったんですね。きっと。
人間のことを「固定のなにか」だと思っていた。「あのひとはこういう人だから、きっとこう思うに決まってるわ」みたいに。
「他者の気持ち」という、つかみどころのないものを指針にするほど生きにくいことはない、のもあるし、人間って、ずっと同じ形ではないので、話してみないと、思いを口にしてみないと、わからないのですよね。結局。「わたしはこう思ってる」「あなたはどうなのか」というのは、全然別の問題ですから。それで、意見が合わなくても、それはそれでしょうがないし、そしたらどうするか、というのは、また別途考えたらよいことなのだから。
まずは自分の思いを自覚することからだよね。ということ、あとは、なにごとも、道はひとつじゃないから、結論をひとつに決めつけないことだよね、などということ。
そんなことを、ぼんやりと思いました。そう、道はひとつじゃないんです。
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これが、誰も見ていない、自分しか見ていないメモアプリだと「とりとめのなさ」にもどんどん拍車がかかって大変になるところですが、公開する前提のnoteですので、ここらで終わりにしようかな。ノンアルコールビールしか飲んでないのに、眠たくなってしまいましたねえ。おかしいですねえ。
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