夢とお金と体力
やっと掴んだ1枚の切符
9月末にヘアメイクの学校を卒業。もう この頃には他の就職希望者は ほぼ辞めてしまっていた。つまりは残留。10月から 無事にヘアメイクプロダクションに入社。
やっと、掴んだ切符。緊張と期待とで ちょっとおかしくなりそうでしたね。事務所も麻布十番に移転するタイミングでした。もう アルバイトもできない、というより やらなくて良いという嬉しさ。しかし 貯金はしっかり溜まっていました。
疲労という名の貯金
当時 ブライダル業界ではオリジナルウェディングが流行り始め、多くのスタートアップが参入していました。
株式会社Plan・Do・Seeの野田社長が 代官山プレイスの玄関の掃き掃除をしていたのを 今でも記憶しています。スタッフも業者なのに 改善したり助け合ったり 建設的な現場でした。時代のニーズもあり この後 会場も増え続けていくのです。
そんな ブライダル産業が盛んな最中、血尿が二度出てしまい腎盂腎炎の診断を受け ドクターストップ。走り続けた結果、疲労困憊の状況に気がついていなかったのです。 一か月の安静を余儀なくされ あっという間に気持ちは奈落の底に落ちていきました。毎週末 事務所からかかってくる電話。焦る気持ちと苛立ちと なぜ ストレートに進めないのか、神様がもし居るのなら なぜ こんなに試練ばかりの人生なのか…
考えても仕方のないことを 脳内でリフレインしていました。
諸突猛進の果ての果て
若さが故の無茶苦茶な毎日。当時は休まないのが美徳という風潮。
私の場合は 世の風潮すら知らず 夢を追い必死のお金を稼ぎ夢を掴んで 間もなく全てを失いそうに。
はい、悲劇のヒロインの出来上がりです。笑
当時は感情のベクトルが 自分にではなく、完全に外に向いていました。
事務所からの連絡が嫌すぎて 辞めてやると思いながらも
いつまでも この状況は良くないと モヤモヤした気持ちを抱えながら復帰したのでした。
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