はだしの少女
雨が降りだした。蒸し暑い日の夕方の雨。強く心地よくもある雨。昼間の太陽のよどんだ空気が雨に打たれて土のにおいを醸し出す。空気が冷えていく匂いが漂う。
ぴしゃぴしゃと地面に当たっては跳ね返ってくる雨が、地面にたまっていく。行く場がなくどんどん雨が地面にたまって、熱した地面が冷えていく。
彼女ははだしで歩いていた。
はだしでアスファルトの雨の水たまりの中をぱちゃぱちゃと水しぶきをあげながら歩いていた。服は濡れていた。髪の毛も濡れていた。でも、彼女ははだしで歩いていた。靴を濡らしたくないから、靴は大切にバックパックの中にしまって、彼女ははだしで歩いていた。
私たちには守りたいものがある。
大切にしたいものがある。
彼女にとって靴は守りたいものだった。自分が濡れても守ってあげたいものだった。私はそんな彼女が素敵だと思った。
大切なものだから、守りたいから。服が濡れても、髪の毛が濡れても靴は濡らしたくなかった。だって、彼女にとってそれがとても大切なものだから。
傍から見たら滑稽に見える光景である。そう、世間ではそれを滑稽だとか、変だとか思うのかもしれない。はだしで街を歩いている人を見れば、おかしいと思う人が多いだろう。
なぜ、滑稽だと思ってしまうのか。
それは、私たちが考えもせずに「これはこうであるべき」と考えるように教育され、いつの間にか考えることを忘れ潜在意識に叩き込まれた常識とやらに支配されているから、考えず、感じない、興味を示さない生き方の習慣がついているから、何か違う行動を見ると滑稽だと判断している。大多数の人がやっている事が正しいと決めつけている偏見がある。
そうやって、滑稽だとみている人の方が本当はとても滑稽で虚しい生き方をしていると思う。
私たちには考えもせずに物事のあり方をあるがままに受け入れる心の寛大さが乏しくなっている。大衆の中の一人である立場であれば、「みんなと一緒」ということで良い事にされていることは多い。たいていの場合、それが正しいのかは疑問である。みんながそうしているからというのは最低の理由、そこにどんな正しさがあるのだろう。
大切なものを守るために世間では変だと思われる行動をしている。それを見て私たちにその行動が滑稽だとかいう資格はない。大変失礼なことだと思う。その人の価値観を私たちが判断するのはおかしい。
守りたいものがある。どうしても大切でほかには譲れない大切な物や人がいる。それを守るために自分の形振りよりも、それを守ろうとしている。それくらい本気で大切にしたいと思うものがあなたにはありますか。
心の底から大切にしたいものを守る。彼女の心は幸せであふれている。彼女には本気で愛し抜きたいという感情に満たされている。決意がある。好きなものを好きと純粋に感じ取れる感性かある。損得だとか、世間体だとか、そんなことよりも心から好きな物を大切にするために自然にとっている行動がある。
純粋な心であるがゆえ、素直に愛するものを守りたい。彼女が恋愛をした時、きっと彼女は相手を大切にして、何が何でも守っていくだろう。自分のことよりも愛する気持ちを大切にすることが彼女の生き方だから。次、また雨が降った時、また彼女に会えるのが楽しみだ。