【ヤマムラメグミノエッセイ】#2 東京の母
入院中、よく隣のベッドになった広島出身の岡野さんは、人工関節にする手術を受けるために入院していた。70代くらいだろうか、ピンと伸びた背筋と手入れの行き届いたショートカットのグレイヘア、丁寧な話し方から品の良さをひしひしと感じた。
入院中、暇を持て余した私たちに時間はいくらでもあったから、いろんな話をしてとても仲良くなった。初めて聞いた原爆体験は岡野さんからだった。
ある日、横倉先生から病棟のカンファレンスルームに呼ばれた私は、手術の結果、更に抗がん剤の治療が必要だと言われ目の前が真っ暗になった。術前の抗がん剤治療と手術さえ受ければ、術後は治療は必要ないかもしれないと期待していたからだ。どんなに辛くても誰かの前で涙を見せることは絶対にしなかった私が、病室に戻ってわんわん泣いた。看護師さんまで駆けつけてどうしたのと聞く始末だった。
「あんな辛い治療、1回でも無理なのにあと6回なんて出来るわけがない!私には出来ない!絶対に出来ないっっ!」
先生に伝えるからと諭されても、治療継続に対する抗議も涙も止まらなかった。
その時、
「メグちゃんが泣くんじゃないよ。一番泣きたいのはあなたのお母さんなの。自分の娘がこんな事になったって自分の事を責めてるのはメグちゃんのお母さんなんだから。治療はいつか終わるんだから耐えるんだよ!」
岡野さんから一喝された。
あんなにワンワン泣いてたのにピタリと涙が止まった。
やるしかない、心に決めた。
辛くてたまらなくて、もう無理だと思った時
止まらない吐き気でトイレにしがみついている時
いつもその言葉が聞こえてきた。
私が全ての治療を終えて退院してからも、入退院を繰り返してた岡野さんのお見舞いにいつも行っていた。ある日、いつものようにお見舞いに行ったら、私が作ったあずま袋を見てひと目で気に入った岡野さん。
「それ、気に入ったから作ってちょうだい。」
そう、頼まれた。
了解〜!
軽く返事をして静岡に帰ってきたものの、お約束通りだらだらと過ごし、なかなか作ろうとしなかった。
散々放置したある日ふと、作らなければと思い立った。
その日のうちに布を買い、ミシンで縫い、完成させた。
「岡野さん作ったよ~
約束守ったよ~文句言わずに使ってね~
またお見舞い行くし~じゃ~ね~」
そんな簡単な手紙と一緒にその日のうちにポストに投函した。
それから何日経っても返事も連絡も来なかった。
入院してるからだろう。家に電話しても出なかったから。
それでも退院してくるのを待ち、何度も電話をかけ続けたある日
「もしもし?」
「もしかしてあなた、メグちゃん?」
「岡野さん…は?」
「亡くなったのよ。1週間前に亡くなったの。私のこと分かる?岡野の友達の…ほら、お話ししたことあるじゃない。」
「嘘。だって岡野さんもうすぐ退院するって言ってました。それに約束してた袋、私送ったんです。岡野さんに届きました?」
「あの袋ね、岡野が亡くなった日に届いたのよ。その時はまだ元気でね、物凄くよろこんでたわ。でも手紙が短すぎるって怒ってたわよ。」
電話を切ると、悲しみや後悔、自分への怒りが次から次へと込み上げてワンワン泣いた。
だって、いつも元気だった。苦しそうな顔なんて見たことなかった。いつも笑ってた。だから気づけなかった。 癌だなんて知らなかった。そんなこと言ってもくれなかった。
それから数日後、ポストに手紙が届いた。岡野さんのことを教えてくれたご友人からだった。私への気遣いからだろう、葬儀の写真が何枚も入っていた。見たくなかった。
写真から、葬儀はとても簡素なものだったのだと知った。参列者は3人。
遺影の岡野さんは私の知ってる岡野さんとは似て非なるものだった。
ご遺体も、私の知ってるあのハツラツとして私を一喝した岡野さんではなかった。岡野さんとあんなに仲良しだったのに、家族もいない身寄りのない人だったことを亡くなってから知った。岡野さんのことを知っているようで、何も知らなかった自分が苛立たしかった。
最後の最後まで私の心配ばっかりしていた東京の母 岡野さん。 袋、届くの待っててくれたんだなと思う。最後の約束を守れたのは、きっと岡野さんが教えてくれたからだ。
岡野さんは故郷の広島へ帰った。
岡野さんから誓えと言われた
「メグちゃん、二度と病院に戻ってくるんじゃないよ。」
の約束を破る度に、
「岡野さんごめんね。また守れなかった。」
って謝ってきた。
「全くメグちゃんは〜」
ってため息混じりに、でも渋々笑顔で許してくれる岡野さんが目に浮かぶ。声もさ、今でも覚えてるんだよ。いつか広島に行って手を合わせたい。
あなたが娘のように愛してくれた私は
今でもあなたのことが忘れられません。
あれからずっと身体を大切にしてこなかったけど
これからは大切にします。向こうでの再会を楽しみに。
いつも見守ってくれてありがとう。
Instagramでは、私の見た命の輝きやあたたかさや強さを大好きな空の写真に乗せて発信しています。日々のつぶやきもこちらから。
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