100分で名著『モモ』① 〜時間・空間をこえて、宇宙とつながる〜
私の本は、分析されたり解釈されたりすることを望まない。それは体験されることを願っている。(子安美知子『エンデと語る』朝日選書)
数字では測れない時間の豊かさを題材にした『モモ』を、忙しい現代人のために100分で解説することは、矛盾しているかもしれない。
そして、作者が解釈されることを望まない本を、あえて解説することにも抵抗があるだろう。
それでも、これをきっかけに『モモ』を手に取る人が増えたら、そのような矛盾や難しさも必要なことだと思う。
番組・テキスト・作品を通して、私なりに大切だと思ったことをまとめておきたい。作者が望んだ「作品を体験すること」を大事にしながら。
「いしにえの時」とは、どんな時代?
『モモ』の舞台は、かつて古代文明が栄えた場所。一度は滅びた大都市も、現代的な大都会として復興した。
円形劇場で人々は、そこで語られる物語や芝居に聴き入り、喜怒哀楽を感じ入った。
そして、舞台のうえで演じられる悲痛なできごとや、こっけいな事件に聞きいっていると、ふしぎなことに、ただの芝居にすぎない舞台上の人生のほうが、じぶんたちの日常の生活よりも真実にちかいのではないかと思えてくるのです。『モモ』
大都会のはずれにある、廃墟となった円形劇場に住み着いた少女のモモは、「豊かさをもたらすストレンジャー」。まちの人々は、彼女の来訪に最初戸惑いながらも、彼女がもたらした「豊かさ」の恩恵を受ける。
番組の指南役の河合先生によると、モモは「今は消え去ってしまった豊かな時間、生き生きとした物語を知っている者」とのこと。
モモが得意なことは、人の話を聴くこと。
かつて人々が神話や芝居を「リアリティ」を感じて聴いていた円形劇場で、モモはある意味同じことをしていると言える。
聴いてもらう=相手に託すこと
人の話を聴くことほど、簡単そうで難しいことはない。
ついつい、自分の経験と照らし合わせてアドバイスしたくなったり、分析したり、感情的になってしまったりする。
私が学んでいるNVC(非暴力コミュニケーション)では、相手の話をジャッジや評価せずに聴くことで、人と人が共に生きる上で大切な「つながり」や「思いやり」が生まれるとしている。
NVC的に人の話に耳を傾けるとき、相手に自分の心のスペースを貸している感覚がある。
自分ひとりの心だと、感情が溢れていっぱいになってしまうような話も、誰か受け止めてくれる人がいるだけで、安心して話すことができる。
それを河合先生は「相手に何かを託すことができる行為」と言っている。
でもどうして、私たちは相手に容易に託すことができなくなってしまうのか?
それはきっと「こんな風に聴いてほしい、受け止めてほしい」という期待が何度も裏切られたからではないだろうか。
本当はただ「うんうん」「大変だったね」と聞いてほしかった。
でもそれが叶わず諦めてしまった。
そうして、本当に聴いてほしかった話は心の片隅に追いやられていく。
でもその本当に聴いてほしかった話こそが、その人を輝かせる大事な宝物なのかもしれない。
相手の中にある「宇宙」を聴くこと
モモはとくべつにすばらしい聞き手でしたから、ベッポの舌はひとりでにほぐれ、ぴったりしたことばが見つかるのです。『モモ』
モモに話を聴いてもらっていると、自然と解決策が生まれてくる。
なぜだろうか。
番組で伊集院さんが言っていたことが心に残った。
モモが静かな夜、ひとり円形劇場で満点の星空を見つめるシーン。
こうしてすわっていると、まるで星の世界の声を聞いている大きな耳たぶの底にいるようです。そして、ひそやかな、けれどもとても壮大な、ふしぎと心にしみいる音楽が聞こえてくるように思えるのです。『モモ』
このシーンはモモがどんな風に人の話を聴いているかをよく表している。
まるで円形劇場が耳たぶのようで、モモはこの耳たぶを通して、宇宙の声を聴いている。モモは、相手の中に存在する宇宙、いのちに耳を澄ませている。
自分でも知らなかった心の中の「宇宙」を誰かに聴いてもらったとき、その人は初めて自分の可能性を知り、「生きる」ことができるようになる。
永遠を生きるということ
ベッポという掃除夫のおじいさんが、
いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。『モモ』
時間の長さという意味では、人間は永遠を生きられない。
だけど、時間の深さにおいて、人は永遠を生きられる。
ベッポは、遠い昔に誰かがわざと石畳にはめこんだ色の違う石をみつけた。ベッポは自分とモモがその石をはめこんだ、と言う。
そういうべつの時代があったんだ、あのころのことだ (中略) だがわしには、わしらだとわかったーおまえとわしだ。わしにはわかったんだ!『モモ』
ベッポのように一瞬一瞬を生きることは、永遠を生きることと同じ。
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モモのように一つ一つの物語に耳を傾けること、
ベッポのように目の前の石畳の一つ一つと向き合うこと。
それは、時間を越えて空間を越えて宇宙と繋がる秘訣なのかもしれない。
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