日記:幸せについて考察
人であれば誰しも幸せに生きたいと思うのは普通です。
自ら拷問を願う人はいないし、まぁいたとしても何かしらそれが間接的にか直接的にか当人が思う幸せにつながっていたりするのかなと思います。
脳を改造されてるとかそういう特殊なケースは考えないとして。
幸せとは何なんて言い始めると、大抵の場合暇なのかと言われます。
それはすぐに出る話ではないと思い込んでいるし、そういう話は哲学者に任せればいいと考えてる人も多いと思います。
確かに僕は暇でこんなことを考えているのですが、あくまで主観的な幸せについてであって、幸せという言葉の定義を考えているわけではないという前提で読み進めてみてください。
感情というか身体、特に脳が起こす話で言うと幸せとは要は脳がそう感じる成分を分泌しているだけとも言えそうです。
では脳がその成分で満たされていれば、幸せなのでしょうか。
僕はそう考えると、どうも違和感を感じました。
例えば病気でそういう状態になってしまう人もいるかもしれないし、ドラッグとかを依存してでも使う人はあまり幸福だと思いません。
例えばそれよりも大企業の経営者とかの方が僕は幸せなんじゃないかと思ってしまいます。
まぁ経営者もそれはそれでしんどい部分も多いと思いますが。
つまり単純に幸せを感じているだけでは現実的ではないというか、状況が釣り合っていない幸せは幸せとは言えないのではないかという感じです。
じゃあその状況って何なんでしょうか。
それを考えることが自分にとっての幸せを知る助けになりそうです。
僕はなぜ大企業の経営者が幸せだと思ったのでしょう。
それをまず書いてみます。
お金持ちなことと、他者に貢献していることの二つが出てきました。
会社が倒産したら不幸な感じがするので、上の二つが持続することも条件のうちでしょうか。
お金持ちで他者に貢献していて、それが持続するのが幸福の条件という仮説が立ちます。
なぜ他者に貢献することが幸せにつながると思ったのかを書いておきます。
そもそもお金を継続的に稼ぐということは誰かの役に立つということとほぼ同義です。
誰の役にも立ってないし何なら嫌がらせばっかりしててお金稼げましたっていう人はたぶん何かで捕まるか騙されてます。
仕事に対してお金を払ってでもやってほしいという価値があるからこそお金が稼げると考えているので、そういう意味でも他者の貢献は重要なポイントなのかなと。
あとたぶん生物的な面で考えるなら人間は群れで暮らす生き物なので、基本的に誰にも接触しないで孤独で生活すると体調を崩します。
そう身体はできているので、良い関係を作って過ごしていくためにも他者の貢献は幸せの重要な要素に思えます。
こういう考え方は厳密に考えると穴だらけなんでしょうけど、自分で考える分にはこれぐらいでもいいのかなと思います。
こういう風に分かる範囲から仮説を立てて、それを元にさらに考えていくと案外思考が深まっていったりします。
例えば今後何かをしようか迷ったときに仮説を基準に考えると判断しやすそうです。
『それってお金を無駄にしない?』
『それって誰の役に立つの?』
例えばパチンコだと、お金を無駄にしそうだけど、パチンコ店の売り上げに貢献して経営側の役には立ちそうとかですかね。
そのうえで経営側の役に立ちたいわけじゃないし、やめておこうみたいな判断ができます。パチンコに詳しくないのでこの例はちょっと雑ですが。
近い例だとソシャゲに課金とかもありますね。
お金は使っちゃうけど、好きなゲームを作る会社の人達の売り上げに貢献できるなぁみたいな。
この場合は難しいですけど、他の部分でそれ以上のお金を持続的に稼げるのなら条件的にはアリなのかなぁ。誰の役に立つのっていう問いに自分を含めるかどうかも一考の余地がありそうですね。
もしくは自分の快楽をどう考えるかも条件に加えるべきなのかな。
こんな感じで幸せについてだらだら考えてみました。
あくまで、僕の考え方ではこうという話なので、これで違和感を持ったなら、それを元に考えてみると面白いかなと思います。
コツは文章として書いて自問自答していくことです。
そうすると謎の文章が出来上がっていきます。
おめでとう。