ちょっとした昔話と焦る気持ち
声の仕事をするようになって、様々な活動をさせていただく中で、心が折れたことが何度かある。
堂々と過ごしていた私の心が折れた瞬間。
自信喪失をした瞬間。
自信過剰とはちょっと違うのだけど、それまでの私は「何とかなる」という気持ちで走っていたように思う。
バイトも人一倍頑張って、ちゃんと事務所の方に認めてもらえるように養成所にも通って。
とにかく当時は必死だったんだと思う。
高校の時に失ったものが大きかった分、「この夢だけは」としがみ付いている私がいた。
でも、そんな日々は4年で幕を閉じた。
24歳の3月31日。
今でも忘れない。
大好きな愛犬に、顔を噛まれた。
最初に救急車で運ばれた病院では、適当に治療されてしまったこともあり、私は事の重大性に気づいたのは4月1日だった。
できる事なら、エイプリルフールか何かだと思いたかった。
「何で、こんな治療をしたんですか!?昨日だったら間に合ったかもしれないけど、もうこれは跡が残ってしまいますよ?」
急遽大学病院で診てもらった際に、そう言われて私はピンとこなかった。
だって、昨日の私の顔とは明らかに違っていて、傷だらけで。
でも、これが治らないと言われたのだから。
実際、そこで治療してもらって半年経っても元の顔には戻らなかった。
養成所にその頃戻ったけれど、先生や周りの反応が明らかに今までと違ったのをよく覚えている。
「その顔どうしたの?」
「……犬に噛まれちゃって…笑」
「そっ…そうなんだ…」
事務の人もマネージャーさんも、態度が素っ気なくなったのをよく覚えている。
その時に事の重大性に気づいたのだ。
私の顔が醜くなったことを。
そして、唇も頬も噛まれてしまっていたので、滑舌も悪くなってしまっていたことを。
怪我をしてからの半年間。毎日のように鏡に向かって怪我した部分の筋トレをしていた。
けれど、怪我した部分の筋肉は簡単には修復するはずもなく。
今までと同じ喋りができないことにとても悔しさを感じた。
笑顔が一番の武器だったのに、その笑顔すらできなくなってしまっていた。
色んなことが重なり、生きる気力も失った私は、この半年の間に体重は55キロから46キロと落ちてしまった。
半年間歩けない生活が続いたし、その当時今の彼氏とお付き合いしていたけれど、私から別れを切り出した。
こんな醜い人間と生活するのは嫌だろうなって思ったのだった。
治療をして1年経過した時には、声のことなんて出来ないって思うようになり、養成所をやめることにした。
現在の顔はというと、その後に美容外科の先生に再度見ていただき、治療でくっつき過ぎた皮膚を治すために、左の眼の部分を切開している。
人によっては整形と言われるのかもしれない。
けど、私にとってみれば、元の顔に少しでも戻す手段でしかなかったから、治療だと思っている。
しかもその切開したの時にも言われたが、今以上は良くならないとのことだった。
それ以降、自分の容姿についても堂々と過ごせない日々が続いた。
うまく笑えない私もそこには存在した。
外にも出なくなった私が、ここまで回復したもの、何もかも。
亡くなった好きだった人のお陰だけれど、そのことが無かったらきっと、声のことをまたやりたいだなんて思わなかったと思う。
一生趣味のままで、心を閉ざしたままSHElikesにも入らずに、今も実家で暮らしていただろう。
でも、面白いもので、今の私はそんなに今の顔を嫌っていない。
すごく好きって訳でもないけれど、受け入れられるようにはなった。
周りの環境が私の顔を指摘しなかったのも大きいかもしれない。
そして、今こうしてお仕事ではないけれど、声のことを昨日もやらせていただいている。
怪我をしてから5年ちょっとした時にまた挫折を味わっている訳だけど、結局ここに戻ってくるのだ。
「私は声を使って人に喜んでもらったり、何か感じてもらうことが好きだ」ということを。
そうやって数年に一回挫折しつつも立ち上がろうとする私は、本当にゴキブリ並みにしぶといなって思う。
とはいえ、昨日も彼氏と話していたが、あと1〜2年以内には私自身もどうにかして生活の基盤を作らねばならない。
最低でも扶養から外れるくらいの収入がないといけない。
そうしないと、もう彼と一緒に暮らせないかもしれないからだ。
決してここまでの人生、適当に生きてきた訳ではない。
常に必死で焦ってから回って、上手くいってこなかった。
勿論、両親には申し訳ないことをしているなと思う部分もあるけど、高校生の時に人生を挫折してる状況からすると、気持ち的にはやっと今大学生くらいの気持ちなのだ。
でも、両親の年齢を考えるとそうも言ってられない。
彼と一緒に暮らせなくなるのも嫌である。
そう思えば思うほど、今やってることは本当に意味のあることなんだろうか?と自問自答したくなってしまう。
さっさと嫌でも就職して、ブラック企業でもなんでも諦めて働けばいいんじゃないか。
そうやって思う私もいる。
しかし、この32年で失敗ばかり繰り返している私にとって、それはただの地雷でしかないと思うのだ。
大人になるということは、そうゆう地雷を踏まない生き方をするということだと私は思ったりもする。
そう思うと、まだ声だけで生きていくという選択をする勇気はない。
簡単には失った自信を取り戻すことは難しい。
毎年少しずつ少しずつ取り戻しているけど、完全回復することが果たしてあるのか、私にもまだわからない。
ただ、昨日の時点で猶予が決まってしまっている以上、なんとかしなければならない。
私にとって今の生活は心の居場所であり、支えだから、この場所が壊れることは、さらに自分の首を絞めるということにもなる。
このたった8年間、されど大切な8年間は私にとって、32年という生活の中で一番幸せな時間なのだ。
その話は長くなっちゃったし、また今度。
ではでは、良い1日をお過ごしください〜。