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昭仁さんとお揃いと信じて新しい現実を受け入れる話し 〜黄昏ロマンス〜

眼科の帰り道、悲しみをnoteにぶつけます。
だいぶふざけた内容です。
それだけになぜタイトルにこの楽曲!?といらっとされるかもしれませんが、最後だけはまじめに書きますのでご容赦ください。

初めて気付いたのは35歳の時でした。
学生の時に読んでいた文庫本、こんなにフォント小さかったっけ?読みにくいなあ。

実家で見つけた子どもの頃の地元の地図。
今はもうない施設がたくさんあっておもしろくて目を凝らして見るのだけれど、なんだかはっきりしない。印刷のせい?

新聞に載っていた江戸時代の古地図がものすごくおもしろそうで目を近づけて細部を見ようとしたら、なんかぼやける?なんで見えないの??

ここではっと気付きました。
近くが見えなくなってる。
ろうがん!?!?

↑あの文字を漢字で書きたくない

まさか30代半ばで始まるとは夢にも思ってなくて、結構なショックでした。

40を越えると周りに段々と仲間が増えてきました。
子どもが中学生になり、初めての保護者会。
お母さんたちが資料を読むために手元用の眼鏡をかけるのを見て、小学校から中学校で保護者もひとつステップを上がるんだなとちょっとほっとしたのを覚えています。

それでもどうにかこうにか必死に抵抗していたのですが、職場の若手が作るめちゃくちゃ小さいフォントの資料を読むのがきつくなって、予算関係の数字の読み間違えとかシャレにならないので、47歳の時に観念して「リーディンググラス(というらしいですよ、最近は)」を作りました

でもそれをしょっちゅう使うのも癪に触るので、職場のデスクに置きっぱなしにして、どうしようもない時だけ使うようていました。
頻度としては3〜4ヶ月に一度程度。
必死の抵抗。

2023年の暮れ、ついに50歳になりました。
思えば20になる時も、30、40になる時も抵抗感を覚えたけれど、50歳!!!
この数字の抵抗感たるや。

なかなか50という数字に慣れなくて、受け入れ難くて目を背けていた時にあったのが、やっと行けた初めてのポルノグラフィティのワンマンライブ。
人生を変えられるレベルで恐ろしいほどイケ散らかしていた昭仁さんが、何度も言うんです。「よわい50」と。大変ナチュラルに。さらっと。

その後もよく見てるとちょいちょい「近くが見えない」そぶりを見せる昭仁さん。
正確にはまだ49歳なのになにかと50歳という年齢を口にするおふたり。

仲間じゃないですか!!!
これにかなり救われて、ようやっと自分の年齢を、アラフィフという事実を受け入れることができました。
ありがとう、昭仁さん。ありがとう、ポルノグラフィティ!!

…なのに。
9月19日、誕生日の前夜に突如必死の抵抗を見せるお方が。

えええええ、そりゃないよ笑。
でも、わかる。めちゃくちゃわかるよ、晴一さん!!!!!
これはこれで共感の嵐。

そして10月15日、ご丁寧に日本時間の日付が変わると同時に潔く50という年齢をpostする昭仁さん。

ありがとうございます。
ようこそ、こちらの世界へ。
そして2ヶ月だけ同い歳なのも嬉しいです。

いざとなると抵抗を示す晴一さんも愛らしいですが、さらりと年齢を受け入れる発言を繰り返す昭仁さんの言動に勇気づけられています。さらっと「ろうがん」という単語を口にする昭仁さんに励まされています。ありがとう、そのめちゃくちゃ言い難い単語を口にしてくれて。

因島ディレイビューイングに備えてスクリーンがよく見えるように新しいコンタクトレンズにしようと張り切って眼科に行ったのですが、近視の度数をあげた新しいコンタクトを付けたら、あれ、ついったの文字がぼやける…
遠くをよく見えるような度数にすると、手元が見えなくなるのか!!

Xでぼやいていたらフォロワーさん各位が親身にアドバイスや体験談を寄せてくれて、それにまた励まされて、本日もう一度眼科へ行ってきました。

「近くがよく見えないんで、遠近両用のコンタクトを試してみたいです」
言えた。言えたよ、昭仁さん…!

お試しレンズを装着したら、なんとよく見えること。ついったもくっきり。

悔しいけど。めちゃくちゃ悔しいけど。
でもきっと昭仁さんもお揃いのろうがんに違いないから…!

昭仁さんと(たぶん)お揃いのカーディガン着て初めての遠近両用を試しながら、遠いバルセロナに想いを馳せて、新しい現実を受け入れようとしています。

はしゃぎすぎた季節から黄昏に変わってゆく
僕は上手に乗れてはいないけれど

何一つ終ってやしないのに まだ生きるとして
僕らには始まりや始まってないものばかりさ ねぇ気付いてる?

黄昏ロマンス/ポルノグラフィティ


このふざけた内容でこの楽曲を引用するのは申し訳なさすぎるので、最後は少しだけまじめに。

この年齢で出会ったので、私にとってはあたたかさより、限りある人生の先を見据える切なさを感じる楽曲です。
「まだ生きるとして」という言葉に、どうしても寂しさを感じてしまう。それでも「始まりや始まってないものばかり」と言うことに、寂しさや切なさをなんとか押し殺した意思を感じます。
30そこそこの時ときっと見える景色が違う、50歳になった昭仁さんの黄昏ロマンスを一度聴いてみたいです。
切なくて泣いちゃいそうだけど。

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