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10年後の自分に〜黄昏ロマンス〜
51歳になりました。
49→50に数字が変わるときは晴一さんばりに抵抗したし、ずっと認めたくなかった。
起きたらごじゅっさいになんかなってませんように
— 晴一 (@blackcaster) September 19, 2024
ワズビルで昭仁さんがさらっと「よわい50」を口にしてくれたおかげで受け入れられるようになったけど。
ひとが年齢を重ねるのは当たり前のことだし、10の位が増えてもただ1つだけ年齢を重ねただけに過ぎないとわかっているのに、なぜこうも大きな変化と捉えてしまうのか。
実は私は40代の10年間で、15キロ以上体重が増えました(文字にするともはや恐怖…!)。
30代の10年間は、特に努力したわけでもないのにほとんど体重が変わらなかったので完全に油断してました。
で、今でも明確に記憶しているのですが、体重が増え始めた時「どうせ40代だし、外見なんてもう気にしなくていいや」とまるっと諦めたんです。「年齢の変化を受け止める」みたいなプラスな思考ではなく、「だってどうせもう40代だから」という完全にマイナス思考の諦め。
まさかそれから10年後に「こんなみっともない姿を昭仁さんの眼に映してはいけない」と本気で悩んでライブ中に隠れたくなったり、「野外ライブ メイク 落ちない」と検索かけて涙ぐましい努力をするようになるとは。
この10年間、自分の外見なんて1ミリも気にかけてこなかったのに。
人生ってわからない。
昭仁さんのせいで(←言い方)、生活や考え方、志向、価値観が急激に変化した50歳の日々。
人生いつなにが起こるかわからない、突然がらりと景色が変わる瞬間があるということを身をもって体感した1年間でした。
そこに、年齢は関係ない。
ああ、あの時、「どうせ40代だから」と諦めていなければ…
というか、51歳になった今、40歳なんてめちゃくちゃ若いよ?
30になった時も「もうまともな転職はできなくなる」と一度キャリアを諦めました。(当時は30を超えると転職は厳しいと言われていた時代でした。ただですら氷河期世代なのに切ない)
でもその後、転職市場の市況感も変化し、40歳になったタイミングでキャリアアップ目的で転職できた。
というか、あの時「もう30になったから、あれもこれも諦めなくては」とか勝手にいろいろ思っていたけれど、今、30代を見ると若さと可能性しか感じない。
やっと気づいた。
きっと10年後の自分は、今の自分の若さと可能性をうらやましく思っている。
それに気づいたら、もう50代だからとマイナスに捉えて諦めてしまうのは10年後の自分に失礼だ。
それに気付いた時、この方を思い出しました。
91歳のおばばちゃん
— osakihiroko (@hiroloosaki) July 22, 2024
これから友人とランチです。
久々の自撮り🤳です。 pic.twitter.com/XJ0jlQDNlB
78歳でMacを覚え、91歳で亡くなる前日まで毎日Twitterで日々の暮らしを発信。人気のインフルエンサーで、何年もずっとフォローしていました。
年齢で諦めるのではなく、できることがたくさんあることを教えてくれていたじゃないか。
受験生だった時、尊敬していた代ゼミの人気講師が教えてくれた言葉があります。
Today is the first day of the rest of your life.
-今日は残りの人生の一番最初の日-
わかったつもりでいたけれど、短いスパンでしか捉えてなかった。10年単位で考えたら、見える景色が変わる。
黄昏ロマンスは、初めて聴いた時からとても切なくなる、胸がぎゅっと苦しくなる曲でした。
とっくに人生の折り返し地点を過ぎて、母や祖母の最期の年までもう15年もなくて、残りの時間を考えてしまうから。
若いファンが結婚式で使うと聴いて、見える景色が違うんだなと思いました。
でも。
何一つ終わってやしないのに まだ生きるとして
僕らには始まりや始まってないものばかりさ
ねぇ気付いてる?
まだまだこれから始まっていくものや、始まってないものがあることに目を向ける生き方をできたら。
黄昏ロマンスを、これから先の未来をプラスのイメージで聴けるようになったら。
10年後の自分に、あきれられないように。
聴くのがちょっとしんどい黄昏ロマンス、少しだけ聴き方が変えられたらいいなと思う51歳のはじまり。
そんなことを思った51回目の誕生日でしたが、やっぱり、どうしても受け入れがたいものがあるんです。
この2か月間、とてもとても幸せだったんです。
「昭仁さんと同い年」ということが。
73ers、惜しい。あと1年遅く生まれたかった(割と本気で思ってます)。
昭仁さん、早く51歳になってください。
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博子さんのツイートに出会った頃は、もっともっと若かったのにずっとしんどい思いをしていた母と比べてしまって、うらやましかったり、悲しくなっていました。
でも、そうじゃないんですよね。
誰かと比較するのではなく、自分がどう考えて、何を選択するのかだよ、自分。