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若おかみは小学生!は、「他人が語ること」で織り上げられた物語(ネタバレなし)
なんだか私の観測範囲内で特にアンテナの高い人々が、軒並み観てとりあえず観るべきと無条件に勧めていた「若おかみは小学生!」という映画。それを先日観に行きましたので感想を書いておきます。
ネタバレしたとしても果たして魅力が損なわれるかと言うとそうでもないとは思います。そして、今回の文章はわりと感想そのままで、というか観た人にしかわからないものになるはずなので、どうぞ先に、その目で観ていただけたらと思います。
映画の詳しい情報はこちら→ https://www.waka-okami.jp/movie/
サイトを見ればふりがなつきの素敵で凡庸な小学生向け映画に見えます。しかし、観終わった今では、とてもそうとは思えません。これは大人に対するこれまでの感情の肯定と人生讃歌であるようにも思います。観た人のこれまでの価値観を映し出す鏡のようでもあると感じました。
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主人公の「おっこ」こと関織子は両親を亡くした、とあらすじにもありますが、亡くしたという一言で済む生易しい話ではありません。祭りでの仲睦まじい家族の会話を経て、事故の直前の直前まで見せてしまうのは、いっそホラーでした。音だってリアルすぎました。子供向けファンタジーであるような演出ではないと感じます。
その中で、幽霊、というかおばけという表現がぴったりな存在により、娘だけが無傷で助かってしまう展開となります。
そして両親を亡くしたおっこは、何食わぬ顔で、もともと住んでいた空っぽのマンション(誰が片付けたのだろう、契約関係はどうなってしまうんだろう)を出ておばあちゃんの家、今回の舞台「春の屋」に向かいます。このときの顔が、なんの表情も感慨もなくて、むしろ空恐ろしくなったのは私だけでしょうか。
人が傷ついた時にどういうリアクションをとるのか?というとき、やはり涙ぐむ、とか、肩を震わす、だとかの表現になるでしょう。この映画は、そういった方法をほとんど取りません。おっこは割と普通の何もない主人公のように描かれていくのですが、前半はその表情に悲しみはほとんど出てこないと感じました。一方で、その悲しみとか喪失感は、フラッシュバックとして、それもリアルで温かくて、もうずっとこうなってほしいという場面として表現されます。だからこそ後半の描写が効いてくると感じました。
おっこの感情を明るく一定にするおばけたち。ウリ坊、美陽(みよ)ちゃん、鈴鬼。それぞれの機能というか役割がまた秀逸で、対応するキャラの信頼性を上げる効果があると思いました。
ウリ坊→おばあちゃん
美陽ちゃん→ピンふり
鈴鬼→お客様
これらのキャラクターにより、当人たちが多くを語らなくとも、バックグラウンドがわかる仕組みになっているのは、まるでグルメ漫画のようでもあります。物語では、本人たちに語らせると、途端に説教臭く、また嘘くさくなってしまう。その意味で、ファンタジックな設定は役立つのだと感動しました。第三者に語らせることで信頼度が上がるのは、何も現実世界だけの話ではないわけです。
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これらのサブ要素が揃って初めて、おっこの内面に迫っていくわけです。そこで、非常に重要だと感じる二人のキャラクターがいます。ピンふりとグローリーさんです。両親を亡くしたおっこにとって、この二人は両親の代替として機能していると思いました。そして、おっこの心理的な動き、成長を担保する存在とも言えるのではないでしょうか。
ピンふりは、とても小学生とは思えない企画力、そして熱心な勉強家です。この物語では最初、いわゆるアイツ変わってんな、必死すぎ(笑)というポジションとして君臨していますが、おっこだけが彼女に対立し、そして親友となっていきます。ピンふりは正しいことを正しく行い、関与するもののクオリティを担保します。そのためには他人を叱責することも厭わない、非常にプロフェッショナリズムの高い人物です。おっこはその視座まで、この映画内という短い期間で到達していきます。ライバルと言えばそうですが、父親のような、一見わからないあたたかさでおっこを育てていると感じました。
一方でグローリーさんは、散々におっこを甘やかします。オープンカーでのデート、笑顔での会話、高額な買い物のプレゼント。後半では、予知能力があったからといってもドンピシャなタイミングでおっこを抱きしめます。存在をまるごと肯定し、その幸せを願う、母親のような存在だなと思いました。人間としての暮らす上でのゆるみ・赦しがあってもいいのだ、というのがグローリーさんで表現されていると感じます。
おっこは、感情をあまり出しません。表面的には、異常に模範的に振る舞います。そこに、両親を亡くしたから落ち込んでいる、というあからさまな演出はどこにもありません。
だからこそ、ご両親との場面のフラッシュバックが痛々しすぎる。いまだに思い出すと涙が出ます。
おっこの個性というものはこれから育つ、というぐらいに「良い子」が基本姿勢のため、そこから逸脱した行動は、目立ちますし胸に迫ります。これはまるで、平均的な感情がありながらも、そこから必ずや逸脱する、という私達の写し鏡となって立ち上ってくるように思いました。結果として、普通は忌避されるであろう良い子すぎるキャラクターに、妙に感情移入してしまうのです。
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本人が語らないところを、他人に語らせることによって想像させる、そういった行間を読ませる構造が特徴的な映画だと感じます。そして、その構造は何キャラ分にも重なり、倍音のように響いてきます。観た時に、想像力があればあるほどハマるだろうし、様々な感情を思い起こすのでしょう。私達が成長やトラウマ、自立とは何かをどう捉えているかが、如実に感想に出ると感じました。
まるで鏡を、自分の価値観の奥底を覗き込むような。自分のことを他人(映画自体)が語っているような気持ちにすらなる、そんな映画でした。
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全然まとまらないですが、まずはここらへんで放流しておきます。
あなたの、「若おかみは小学生!」を観たときの感想も、ぜひ教えてくださいね。
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