記憶にディレイがかかる瞬間、切り取られた残像たち。
その瞬間だけ、
まるで他人の目を通して観ていたかのように、
情景が嫌味なほど広角にひろがって、
フィルムからシーンを切り取ったみたいに、
深く残る記憶が、人生にはしばしばある。
そうして色濃く残っている瞬間は、
たいていの場合、誰かの言葉が呪いのように情景と共にこだまする。
「記憶は美化される」というけれど、
こうした記憶のディレイが、
煩わしくも、その瞬間に少しの美しさを感じさせているように思う。
瞬間の感情処理量が多ければ多いほど、
いつまで経っても、鮮明に脳裏で反芻される。
様々な感情が凝縮されたその瞬間は、
はっきりと焼き付いてなかなか消えることがない。
こうやって綺麗に切り取られた瞬間を、
人生のうちに、あと何度残せるかを、
無意識のうちに、とても大事なこととしてきた気がする。
だから、何となく過ぎていく日々に、
ディレイのかかる瞬間を、心のどこかで求めるとき、
終わりのわからない人生のあまりの長さに、
ふと、退屈を感じていた。
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