肺ぷしゅぷしゅDAYS🧸【中編・終わりの見えない入院生活】
これは1年前に両側性気胸、つまり左右両方の肺が同時に萎んでしまったときの記録、記憶です。医学的に正しくない記述がある可能性はめちゃくちゃあります。
ハイケアユニットでの日々
入院中は、30年間生きてきて経験したことのないことがたくさん起こった。
手術後、両脇腹に直径1cmほどのチューブをブッ刺していた私は、割とケア度が高い患者ということでナースステーションの真隣の「ハイケアユニット」という4人部屋に入居することになった。
シェアメイトは、よく喋る上品なマダム、寝たきりでほぼ喋れないおばあちゃん、脳の手術を受けたらしいおじさん。
3月の穏やかな日差しが差し込む昼下がり、ぷ〜んと異臭が漂ってきた。
異変に気づいた看護師さん達が、向かいのマダムのベッドに駆けつけ、緊迫した様子で「え〜、昨日替えたばっかりなのにどうして!?」「●●さん、こうなりそうなときは早めに言ってくださいね!」などと話している。
どうやら、マダムの大便を溜めている人工肛門が破裂して、中身が飛び散ったらしい。
カーテン越しの盗み聞きで事態を掴んだ私は、徐々に広がる強烈な臭いに耐えきれなくなり、だからといって自由に動ける状態でもないのでシーツを鼻に当てて涙目になっていた。
「ああ、わたし、なんでここにいるんだろ泣」
その臭いを、その後も2度ほど嗅ぐことになる。勘弁して欲しい。
マダムのエピソードは他にもあり、周囲に誰もいないはずの深夜に見えない誰かに向かって「あなたは誰なの?」と問いかけたり、違う看護師さんに「窓の外に見えるのは●●病院?」と同じ質問を繰り返したりしていた。
脳の手術を受けたサラリーマンらしきおじさんは、看護師さんに「ここから毎日通勤しても良いですか?」と聞いており、「ダメだろ」と思った。
両脇にチューブをブッ刺して生活している私も、そんな「ハイケアユニット」のイカれたメンバーの1人なのだが……。
こんなこともあった。
ボッデガ担当医が抜き打ちみたいに回診に来たと思ったら、いきなり胸水が溜まっているので背中に小さい穴を開けて出すという。
あれよあれよという間に背中の穴に細いチューブが刺され、胸水がちゅーっと抜かれる。麻酔が効いているので痛くはない。
え、今、背中から水抜かれてるんすか?
病院外の日常生活ではありえないトンデモシチュエーションに、ちょっと面白くなってしまう。大学生の頃、ヴィレッジヴァンガードで買ったパーティーグッズの長いストローで、FRIDAYSの浮かれたカクテルを吸っていた先輩の姿が脳裏をよぎった。
結局背中からは500mlの水がとれたらしい。ジャーに溜まったペットボトル1本分の黄色い水は、看護師さんがどこかに持って行った。
背中から出た水を処理させてしまい、すみませんね……。
終わりが見えない
入院生活が長引くと、「患者」として過ごすことに慣れ、社会的な自分のアイデンティティが薄れていった。
朝起きて、血中酸素濃度や血圧を測られ、点滴薬をセッティングしてもらう。朝食を食べて、レントゲンとたまにCTを撮りに行く。その後は昼食、夕食を食べるだけ。夜は一刻も早く眠りたくて、睡眠薬を処方してもらった。
そんな中で、仕事をしている時間だけは自分の名前を取り戻せるような気がした。
退院後の取材のためにカメラマンさんに撮影依頼の電話をかける(結局退院が長引いて別の人に代わってもらったのだが)。
「スケジュールはokなんですけど、場所がちょっと遠くて移動に時間がかかるので、ギャランティもうちょっと上げてもらえませんかねぇ?」
いつもなら面倒くさく思うギャラ交渉すら、「あ〜コレコレ……クーッ、社会っすね〜」と噛み締めてしまう。フツーの社会人に戻れた気がして、癒されすらした。
すっぴんで頭はボサボサ。パジャマの裾からチューブが伸びており、誰がどう見ても"患者"だ。通話okの共有スペースの椅子に座りながら、「あ〜、そうですよね。●●さんにはいつもお世話になってますし、ちょっと会社に交渉してみますね!」と答える。束の間の社会的生活を噛み締めた。
病院からリモート勤務する私に、会社の人は「気にせず休んでいいんだよ」と言ってくれたが、むしろ仕事でもしていないと自分が自分でなくなりそうだった。
肺にチューブが刺さりながら書いた原稿は普通に忘れられない。過酷すぎんか?
初めは手術後4日程度で退院できる予定だったのだが、微妙に気胸が収まらないこと、移動性の肺炎が認められるということで、私の入院生活はズルズルと長引いた。
先の見えない生活。ベッドの上を基本に、行動範囲は入院している11階と1階のコンビニだけ。
家の積読を消化し、YouTubeを観て時間を潰す日々。変わらない景色に、一生ここから出られないのではないかと気が狂いそうになった。
オモコロのYouTube動画を観て、時々笑った。
先が見えないことはつらい。
待ち合わせだって、「30分遅れる」とか「ごめん2時間!」とか言われたらその時間なりの有意義な過ごし方ができる。
でも「いつになるか分からない」と言われたらどうすることもできないじゃないか。
こんなイレギュラーな日々は人生でも中々ないはず。日記でもつけて記録しておいたら少しは生産的か?とも思ったが、本当に先が見えないのでそんな気分にもなれなかった。
だって、結局執筆者は死にました、で終わる日記になったら?
そんな恐怖と絶望が浮かんでは、苛立つ気持ちを家族にLINEでぶつけ散らかしていた。
病院食は結構美味しかった
変わり映えのない日々の中で、やはり楽しみといえば食事だ。
廊下に張り出された献立表を眺め、「オッ、火曜日はすき焼き風か、いいな。でも火曜日まで退院できてないと考えると憂鬱だな……」などと一喜一憂していた。
病院食というと質素なイメージだが、私が入院していた病院の食事は割と美味しく、たまに「リクエストデー」というイベントがあり、メインを2択から選べる日もあった。
ひとつ心残りがある。
朝食には毎日牛乳が出るのだが、同室のマダムと看護師さんの会話から、どうやらこれをヨーグルトに変えることができるらしいと知った。
牛乳は嫌いではないが、ヨーグルトの方が明らかに魅力的だ。
でも私は看護師さんから直接ヨーグルトチェンジの件を聞いたわけではなく、盗み聞きしただけ。
その時点で入院して2週間くらい経っていたこともあり、今さら牛乳が苦手で……とも言いづらい。
ついに私は「朝の牛乳をヨーグルトに変えて欲しい」と言えることなく入院生活を終えたのだった。
後編に続く