NO CAT NO LIFE
腎不全猫 ヒメとの生活⑤
今日、獣医さんに相談して、点滴を止めることを伝えた。
色んなネット記事を参照しても、点滴を続けた方がいいのか止めた方がいいのか、自分の中で結論が出ず、獣医さんに相談しても結論が出なかったけど、もうこれ以上、ヒメに頑張って欲しくないという思いが私の中で強くて。
とにかく、ヒメの腎不全が末期と分かった時から、緩和ケア優先に考えてきた。
少しでもヒメの負担が軽くなるように、痛くないように。
口内炎症が酷くて、ずっと血を流すヒメに申し訳なくて。
病院で最後の点滴をしてもらい、いつも通り痛み止めと吐き気止めも処方してもらう。
そのお陰か、さっき3日ぶりくらいにヒメが口を開けた。
口内状況は酷くて、舌さえどす黒くなっている。
こんなになるまで頑張らせて、本当にごめんねと・・・。
もう、頑張らなくていい。天国に楽に行けるための準備をしてほしい。
脱水症状とか低体温とか、死ぬための準備をしているんじゃないかと思うと、点滴や体を温めることでその邪魔をしているのではと、点滴を続けていく自信がなく。
かといって、脱水や低体温で苦しむヒメを見届ける覚悟なんてなく。
堂々巡りだけど、結局、自然に任せたい私のエゴで点滴を止めるという決断をしました。
獣医さんとも話したけど、ことが起こった時に「あの時はあれがベストな選択だった」と自分を納得させることができるかに尽きると思う。
その自信さえ、今はないけれど。
というか、本当は続けた方が良かったのではと後悔も押し寄せてきて、手が震える。
不安で不安でしょうがないって、本当にこのことだなと実感するくらい。
私には他に4匹の猫がいるので、この決断が少しでも将来の希望になることを願うばかり。
ヒメはまだ生きている。
実は安楽死も選択肢の一つとして説明を受けたけど、私はしませんと答えました。
まだ、ヒメは生きようとしていること、おそらく猫として死ぬことなんて考えていないと思うこと、状態が本当に悪化していて苦しそうならば考えたかもしれないけれど、今現状のヒメの命を『自分が奪う』ことなんてあり合えないこと。
獣医さんは「もし考えが変わって安楽死を選んだとしても、それは悪いことじゃないし、きちんと対応しますので、お知らせください」と言ってくださいました。
やっぱり、信頼できる獣医さんだなと改めて感じました。
そういう獣医さんに出会わせてくれたことも、ヒメの偉大さを感じずにはいられない。
帰宅して夜中、私は「積極的」に命をコントロールする「勇気がない」だけなんじゃないかと思い始めた。
点滴を止めるってことは「消極的」に命をコントロールするってことで、それは安楽死と何ら変わりないのではないか。
とにかく、決断した以上は、看取りをしっかりしなくては。
願わくば私がそばにいるときに、と思うけど、そればっかりは神様の思し召しだろうし。
ああ、でもやっぱりヒメがいなくなるなんて考えたくない。
ずっと一緒にいられないって分かっていても、心が追いつかない。
今年の私は何年ぶんの涙を流したんだろうか。
いいおばさんが呆れる。とか言いながら、本心はそんなこと思ってない。
何歳になっても私は愛猫のことでは人目も憚らず号泣するし嗚咽するし、そんな姿を見せられる方にはさすがに申し訳ないとも思うけど、見ないフリしてくれと懇願したい。周りも大人だから分かってくださっていると思うので、杞憂なんだろけど。
別れる前から別れは辛い。
ほんと、どうしてこんなに辛いのか。
そして、その時が来たらどうなるのか。
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