【note再開理由】これまでどこでなにしていたの?という件
みなさんお久しぶりです。
ちゃみです。
退職100日前カウントダウン手作りカレンダーを1枚1枚破りながら退職日を待ちわび、そして無事退職した私ですので、またnote再開したいと思います。
※私が退職することになった、珍事件が2つありますがまたそれは別のときに。
今日まで何していたの?
昔にさかのぼりますが、私は2020年末にミャンマーから引き揚げてきました。
ミャンマーで夫が無職でしたからね。まあ無職になったという言い方が正しいかもしれませんが。そしてそんな最中に夫のコロナ罹患疑惑。陰性と診断は出たものの、2日に1回くらいの頻度で息ができなくなるほどの呼吸困難に見舞われました。どの病院へ行っても原因不明と言われ、診断がおりず。これが約1年に渡り続いていました。そのためちゃみは
・夫が自国で無職
・収入がない中で夫が呼吸困難
・世間はコロナ禍のピーク
という3重苦状態でした。
ミャンマーで楽しい生活なんて夢のまた夢。
なくなるお金。
わからぬ病。
先の見えない状態に気持ち的にはかなり押しつぶされそうで不安でした。
生活を立て直すため日本帰国を決意
このような状況の中、生活をどうにかやり直し、そして夫の体調回復を図るためにはもう日本に戻るしかないと、そう判断しました。
ミャンマーに来てまだ1年程度でしたが、お金が尽きる前に、夫の体調が悪化する前に躊躇してる暇はないとそう思い、私は決意したその瞬間から就職活動を開始しました。
ちなみに私はビズリーチに登録し、ミャンマーに住みながら怒涛の就職活動を開始します。60社くらいはエントリーした記憶があります。
就職先の決定 日本への本帰国
60社エントリーしたかい?があってか、2社より内定をいただく。
私は以前日本語教師をしていたが、今回この転職においては日本語教師以外の職がしたかった。私は人事がしたかったのです。
そこで、一度もやったことない人事へ、ばんばんエントリーしました。書類通過できない会社が大多数の中、いくつかの企業が会いたいと言ってくれ、そして入社することになったのが、今の会社です。
これは入社してあとから聞いた話なのですが、この会社では人事経験は不問で、何を大事にしているかというと、主体性とバイタリティだったのです。
主体性の権化である私にとっては、マイクロマネジメントされずに「ほれ、よろしくー」くらいのマクロマネジメントがずっと気持ちがいいのです。
そのため、ありがたいことにこの会社では大変気持ちよく働くことができていました、そうあの事件が起きるまでは・・・・。
※事件についてはまた別の記事にします。
就職先で、とにかく結果にこだわり働く
せっかく就職できた会社、人事未経験者である私を採用してくれた会社。恩しかありません。私はがんばろうと意気込んでいました。
今でも忘れません、私の勤務初日にミャンマーでクーデターが発生し、夫と連絡が取れなくなったこと。
でも、そんなことを考えても仕方がないのです。私は私に集中するしかない。それだけを考えることにしました。考えたって、連絡つかないのだから。この時心から思いました、だから人は祈るのだなと。
夫を日本に呼ぶためには私が働いていることはとても大事。結婚は届出ですが、ビザは承認制なのです。結婚しているからといって、絶対にビザをくれるとは限らない。
もし夫が日本に来れなかったらどうしよう・・そんな不安を拭うためには最低でも私が労働していることはとても大事でした。何があっても、ここでクビになるわけにはいかない。そんな想いは強くあり、少々プレッシャーに感じたのも事実です。だから私は働きました、クビにならないために、ビザをもらうために、夫を呼ぶために、減った貯金を殖やすために、全ては夫婦の今後のために私の全てを注いで仕事に注力しました。
夫入国、夫仕事開始
数カ月後、夫は無事に日本へ入国しました。
空港まで迎えに行く前も緊張していました。無事に飛行機は着陸したかな?と。
ミャンマーを私が出国してから約8カ月が経過していました。
コロナ禍でしたので、待機期間を経て夫は就職活動を開始。
無事に仕事を見つけることができました。ちなみに夫は電気工事士。
日本で電気工事士の試験を受け、無事合格。
夫曰く、漢字を頭に入れていくのが苦労したとのこと。
※この辺の外国人夫 怒涛の試験勉強編はまた別記事にします。
妻バーンアウト、妻退職を決意
私が働き始めて2年が経過、夫も無事に入国し仕事開始。
生活は徐々に安定を取り戻し始めていました。
夫の原因不明の呼吸困難は日本でも1,2回は発生しましたが、それっきり。
※日本でも原因不明と複数の病院で言われ、ドクターらにはパニック障害かもという仮説がたてられていました。
ビザも更新し、次の更新では在留期間も長くなった。
知り合いが誰一人いない場所で、徐々に自分の居場所や話せる人もできた。
夫の体調は安定してきている。
貯金も増えてきた。
仕事も評価してもらっている。
仕事にも生活にも、大きな問題はなく、また今後の将来を前向きに考えられるようになってきた。
そして私はバーンアウトした。
全てやりきったと思えました。
頭では、今後の生活を考えなきゃとか、思ってはいてももう気持ちが残っていませんでした。
少し休憩したい、少し夫に任せたい。
そう思いました。そして退職しました。
人に恵まれた環境でしたので、それは名残惜しいのですが他に後悔はありません。少し、自分のこと、夫婦のこと、考えたり趣味ややりたいことに時間を使いたいと思っています。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
また時間があるとき記事書きたいと思います!