【孤独が限界】ミャンマーから地方移住。つらくて泣いた日。
ミャンマー人と結婚し、ミャンマーへ移住。
現在は日本の地方在住のぶり太郎です。
はっきり言ってもうつらさと寂しさでまた鬱になりそうです。
今日、ほろっと泣いてしまいました。
・なぜつらいのか?
・どんな気持ちなのか?
・夫はなぜいないのか?
その辺をまとめてみました。
・帰国直後のこと
2021年1月、私はミャンマーから日本へ戻りました。
成田国際空港に到着し、その場でPCR検査を受け、到着ゲートを通過しました。
この時はまだ減便されているもののヤンゴン⇔成田がANAで就航していたので無事に戻ることができました。
私の実家は千葉県で、成田空港から車で約45分ほどの所にあります。
帰国を父に伝えていたため、時間通りに父は空港に車で迎えに来てくれました。そして実家へ。ここから自主隔離期間2週間を過ごしました。
千葉と言ってもかなり私の実家は田舎にあるので車がないと何もできません。いずれにしても隔離期間で何もすることがなかったので特には困りませんでした。
・なんで夫と一緒に帰国しなかったの?という件
帰国した理由はまた別に書きますが、そんな寂しいならなんで一人で帰ってきたの?という声が聞こえてきそうですが、一緒に来ることは無理でした。
夫が日本に来るためにはビザが必要です。
私達は日本でもミャンマーでも結婚手続きしてあり、正式な夫婦となっていますが、結婚はとビザというのは結びついていません。
どういうことかと言うと、いわゆる日本の入籍は届出制(=自由)ですが、ビザ申請は許可制なんです。つまり結婚したからと言ってすぐに確実に100%ビザがもらえるとは限らないんです。
そのためすぐには配偶者ビザはもらえませんので、結果として現在私だけが帰国している状態です。なお夫のビザは現在申請中です。
・ぶり太郎はなにがつらいのか?
今いちばんつらいのはやはり夫がいないこと。もちろんそれです。
さらに輪をかけてつらいのが、クーデターを起こしたミャンマー人を入管がどのように審査するのかといった、ビザの審査に絶対時間がかかると思うのでそれが気がかりなんです。
通常であっても配偶者ビザは2カ月程度は審査に時間がかかると言われています。ただでさえコロナがあって、そこにクーデターが重なって・・・。
さらにさらにさらに!
これまでヤンゴン⇔成田の直行便がありましたが、なくなりました。
コロナ以降、減便になってそれでも就航はしていましたが、いよいよ6月3日からはそれすらも無くなります。今後は人が一定数集まってからだ、と。
もう日本にいつ入国できるのかさえ不明です。
絶望しかありません。
・今の気持ち
今、帰国して5カ月が過ぎました。
再就職を果たし、一人でここに住んでいます。
この場所は地元の千葉県でもなく、これまで長く生活していた東京でもありません。ミャンマーから帰国する時に、夫のビザのことを最優先に考えるために就職しようと決意しました。ビザ審査は日本国にいる者の収入も当然審査対象ですから、当然収入はあるに越したことはありません。
必死に就活して、内定をもらった会社が今の会社でした。
就活の話はまた別の記事で書きますが、50社近く受けました。
全てはビザ申請のため、正社員になるため、少しでもいい給与を得るため、そのために日本全国どこでも構わないと、何よりも就職をすることを第一に考えてここまで突っ走ってきました。
慣れない土地、慣れない運転に加え、仕事は忙しい。
帰っても誰もいない。
そういった中で、配偶者ビザの準備を進め、つい先日ビザ申請をして来ました。
ずっと走り続けて、ここでふっと感じた、
「私はもうできることは全部した」
そう思ったら、なぜこんなに孤独なのか、なぜ自分ばかりこんなに苦労しているのか、そう思ってしまいました。
夫もおらず、
友達もおらず、
知り合いも誰一人としていない場所に移住し、
仕事をしながら、夫がミャンマーから来るのを待っています。
こらえ切れず、涙が出てきて全部が嫌になってしまいました。
もう何もしたくない。
しかし、このタイミングで私に電話を鳴らしてくれる人がいました。
続きはまた。