ポケモンGOが生むコミュニティ
ロックダウンが始まってから私の日常は単調だ。朝起きて散歩がてら公園に行き、ジムを潰して周り、友達のポケモンを家に帰したらその日の食料を買いに行く。
今日、いつも牛乳を買っているお店の奥さんに言われた。
「奥の方からとっていいわよ、日付が新しいから長持ちするでしょ」
おぉ、ここまで来たか、と感慨深い。ついに、馴染みになったのだ。長い道のりだった。毎日のやり取りでハート4つの大親友になった瞬間みたいだ。
家の近くには個人経営の食料品店が並んでいるので、一品ずつ買い求めに行く。少し離れたスーパーマーケットに行けば何でも揃っていて商品をカゴに入れレジに持っていけば買い物は一度で済むので楽ではある。けれども馴染みになれば個人商店の方が話は早い。
パン屋の場合はあらかじめ買うものを指定してあり、平日はそれを3本、休日前は6本で、店に行くと私の顔を見た途端名前の書いた袋を秤にかけてお会計をしてくれる。たいてい1日分1ユーロぐらいなので小銭を持っていけば、挨拶も含めてものの1分だってかからない。
私の住んでいるイタリアはコネ社会だ。つまり人との繋がりで動いている社会だ。だから人間関係が築けないと生活していても何も起こらないし、面白くもないし、不便だ。意思疎通ができなければ、外国人は得体の知れないエイリアンと同じなのだから、用事があって並んでいてもいつも長い列の最後尾にいるままとなる。
けれどもイタリア語を学んで友達を作り、人間関係を築けば物事は非常にスムーズに進む。こちらの好みを察して仕入れだってしてくれるし、店で一番良いものを奥から出してきてくれるようになる。
誰にでも平等なサービスは初めのうちは安心だけれど、味気はない。サービスする側も受ける側も永遠に匿名のまま数として処理される。
日本でも同じことだと思う。馴染み、お得意、常連などといって客を贔屓する。都会ではあえてそうした関係を好まない人も多いかもしれない。人間関係には煩わしさも伴うからだ。
けれどもこの一年の非常事態の中で、一番ありがたかったのはポケモンGOで築いたリアルな人間関係だった。人との物理的交流を制限される中、もともとチャットで繋がっているので常に誰かといられるという安心感。同じ状況下にあり、共通のやるべきことがあり、冗談を言って笑い合える環境があったことはこの閉塞感の中で精神のバランスを保つのに大きな助けになった。
住んでいる町のポケモンGOグループは今や350人になろうとしている。全員がアクティブでははないし、実際には近隣都市の以外の人もかなり多く参加している。
そうした中から、レイドの時などに毎日のように会うことで知り合い、ゲーム外でも友達となり、その後イタリア語のレッスンをしてもらったり、逆に日本語を教えたり、留守中の植木の面倒を見てもらったり、本をもらったり、仕事の依頼を受けたりするようになり、その関係はさまざまに広がっている。
遊びや趣味を通すと人はすぐに仲良くなれる。ハリウッドの映画が世界中に共通の体験を与えたように、サッカー選手が知らない国の人々に顔と名前を与えたように、ポケモンGOは地域に世代と人種を超えた新しいコミュニティを生み出している。
テクノロジーと日本のキャラクターが作り出したこのコミュニティが今後どうなっていくのか、興味は尽きない。
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