N=1の確かな情報
そごう・西武の正月広告が心に響いた。
「百貨店が売っていたのは、希望でした」
言葉だけなら単なる綺麗事にうつったかもしれない。が、<領収書>と書かれたこの広告には実際に今年、そごう・西武で売れた、コロナ環境下ではなかなか出番のなさそうなアイテムの販売実績が記載されていた。
「新型コロナウイルスで行動が制限された2020年。それでも、自由に旅行できる日のために、662人のお客様がスーツケースを購入された…」
リアルな情報にストーリーを与えることで、百貨店で売っているのが単なるものではなく希望の一部に見えてくる。実際には必要に迫られて買っただけかもしれないし、近場旅行くらいは良いだろうと買われたスーツケースかもしれないけれど。ストーリーに乗せてあげることで、スーツケース662個が希望に変換されたのだ。
一方で、同じく正月に地上波で流れていた某ビールメーカーのテレビCM。結婚した娘からプレゼントされたグラスでビールを飲む両親、娘の思い出話に花を咲かせながらビールを楽しみ、飲み干したグラスには娘からのメッセージ。感動を呼びそうなストーリーだが正直、見た瞬間白けてしまった。あざといというか、「良い話でしょ、感動するでしょ」感が透けて見えるし、何よりドラマ仕立てが過ぎてリアルじゃない。
コロナが関係しているかどうかはわからないけれど近頃、単なる「良い話」が受け入れられづらくなってきているように感じるのは私だけだろうか。世間が以前より「確かな情報」を求めているというか。そしてそんな目は、企業やブランドが発するメッセージにも向けられている気がしてならない。単なる綺麗事やドラマ仕立ての感動ストーリーに心揺さぶられなくなり、どこの誰かは知らないけれどリアルなN=1が求められる時代。そんな世の中の雰囲気を感じる今日このごろ。皆さんはどうお感じですか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?