ピザを食べながら、このごろ思うことなど。
この間、前の職場の友人から、元同期達の近況を色々と聞いた。何人かはつい最近結婚して、そのうち一人は営業成績を支社長に表彰されるだけでなく、社内のセールスコンテストで優勝したという。私も含め、元同期はみんなまだ二十代だ。
その日、私は恋人と友人の三人で、わざわざ車を飛ばしてピザを食べに来ていた。私達三人はもともと配属された職場が同じで、私と恋人はそこで出会った。いまは二人とも辞め、それぞれ全く違う会社に勤めているが、友人だけが会社に残り、時々こんな風に会っては近況を知らせてくれる。
運ばれてきたピザは綺麗に六等分にカットされていて、私達はだらだらお喋りをしながらそれをつまんだ。ピザの上には温泉玉子が一つのっていたので、フォークで割り、それぞれのピースになるべく均等にかけていった。端っこをつまめばゆるい白身はずるりと落ちる。三人とも、こぼれた白身をフォークで拾ってはピザにのせ、それぞれの近況を語り合った。
私は、友人から元同期達にまつわる話を聞きながら、まだ二十代だと思う反面、もうそんな年になってしまったのか、とも思った。
そして、このピザよりももっと均等に与えられた年月を経てきたはずなのに、知らない間に誰かに差をつけられているということを思い知らされた。どこで何を取りこぼしたのだろうと考えてみたが、わからなかった。
テーブルの真ん中にある皿は、ピザが消えていくのとは反対に、こぼれたソースや玉子のどろどろで、どんどん汚れていった。
どんなに平等な時間を与えられたところで、差がついてしまうのは仕方のないことだ。それは運動会のリレーや駅伝と同じである。最初はまだ小さかった差も、ゴールする頃には大きな差になっていたり、後ろを走っていた人間に追い越されたりと、どこからどう差がつくのかはわからないのだ。
しかし、そうわかってはいても、嫉妬や劣等感の入り交じった何ともみじめな感情が湧いてきて、本当の気持ちを言えば、私は素直に喜ぶことができなかった。
そもそも私は、上司からのハラスメントや企業体質そのものに我慢できなくて退職したのだが、退職してから元同期達とは音信不通、年賀状のやり取りもぱたりと途絶えたので、結婚の報告すらしてもらえなかったというのが、何よりショックだった。
そういったこともあり、私は、「へえ、すごいね」とへらへら相槌を打ちつつ、つい嫌味を言ってしまった。
「みんな平成最後の波に乗っかってんのかね。何だか芸能人みたい」
冗談めかした口調で言ったので、恋人も友人も皮肉だとは気づかず、素直に面白がっていた。
しかし、私達はみんな、それぞれ笑っていられる状態ではなかった。
私と恋人は転職先に、友人は異動先にそれぞれ何かしらの不満があって、それは会社の人間関係や賃金、ノルマや休暇についてといった、社会のどこにでもある不満だった。その「どこにでもある不満」に耐えられなければ、さっさと会社を辞めてしまえばいい。それだけの話なのだが、辞めようにも辞められない理由がある。
一番は、カネがないということだった。私も友人も就職を機に一人暮らしをしているのだが、仕事を辞めれば収入がなくなるので、実家へ帰らなければならなくなる。しかし、実家のある田舎で、たかだか既卒3年だか4年の「中途」を正社員で雇ってくれる(それもいい給料を出してくれる)ところなんて、なかなかない。そしてそのための引っ越し代も馬鹿にならない。
私は実家の人間と仲が良くないので、ある程度は覚悟した上で、家賃4万円ほどのアパートを借りている。いずれは恋人と結婚するつもりなので、今さら実家に帰るわけにもいかなかった。
また、恋人は手取りが低いことを嘆いているので、しばらくは結婚することもないと思う。平成最後の波だなんて私は茶化して言ってみたが、その波とやらには乗れないだろう、平成が終わるまで、あと2ヶ月もないのだ。
「遅くても28歳までに」という本音は、仲の良い友人にしか打ち明けていないが、いつのまにか30歳を迎えている自分が想像できて、焦りを感じてはいた。
そんな現実から目を背けたくて、とりあえず今の会話を楽しもうと笑っていると、向かいに座っていた恋人が、私の台詞に対してこう言った。
「平成最後の波とか言わずに、むしろ新しい時代を迎えてから結婚するほうが良くない?」
いつもの笑顔で、私がさっき嫌味を言ってしまったときのような自然さで、彼はそう言った。恋人は会話の流れからそう言っただけで、深く考えている様子はなかった。
だからたぶん、それが彼の本音なのだと私は思う。
咄嗟に何も返せなかった私の隣で、友人はそのことには気づかなかったらしく、「ほんと、そうだよねぇ」と素直に相槌を打った。「新しくなってからのほうが、何だかすっきりする」「ね、そう思うよね」
彼女のおかげで気まずい空気にはならなかったが、「元号が変わったら結婚しよう」という意味なのか、そこまではわからず、喜んでいいのか、喜ぶような会話でないのかも掴みきれなかった。
そして、そこまで深読みする必要なんてないのだろうが、自分が誰かを馬鹿にした台詞に、まさか自分への本音が返ってくるとは思わず、ひやりとした自分がいた。
その後、友人は、結婚した同期達の話だけでなく、会社を去っていく元同期達の話もした。彼らが辞めた理由は、私が退職先であるその会社に抱いていたのと同じ不満からで、こんなことを言うのもなんだが、私は彼らを「仲間だ」と思ってしまった。
あの会社に負けた仲間。
会社に勝つか負けるかなんて、考えてみればおかしな見方だが、私は心のどこかで、自分も負けたのだと思っていたらしい。
だからこそ、「逆風に負けず、社内でその成果を表彰され、仕事もプライベートも順風満帆な生活を送り、ポテンシャルを存分に発揮させた元同期がこの度結婚した」というニュースは、自分の負け組意識や劣等感をさらに強めた。
そして結局、私はやり場のない気持ちの矛先をどこに向けていいかわからず(また、向けることもできないので)、その日の夜は、会社に提出するレポートを明け方まで書いていた。パソコンやWordを使うのは得意なのに、文章はなかなかまとまらず、だらだらと書いていたら夜中の三時になっていた。
――私は、どこまでも、どこまでも不器用な人間なのだ。
眠りにつく前、私は仄暗い天井を眺めながら、実にしみじみとそう思った。