深海日記 #1

 死期を悟ったら、深海日記という名の日記を書こうと思っていた。

 だが待ち望んでも、死期を悟る日は来ていない。身体はいつも何となく不調だが、別に病院に行くほどでもない。死期を悟るきっかけがないのだ。
 だから今日から書くことにした。別段、身構えたり期待したりしなくても、よく考えれば、どうせいつか死ぬのだ。今も死を前にしていると言ったって、別に間違いではない。

 なぜ深海日記という名前にしようと思ったのか、よく思い出せない。深海に思い入れはない。もうすぐ死ぬとわかったら、何も聞こえない、見えない世界に一人で沈んでみたかったのだと思う。
 そうでもしないと復讐できないこともある。
 見えている世界を深海に見立てる。なかなかそうは見えない。夜の底を走る電車。外は何もない海かもしれない。電車を降りると高架式のホームから少しだけ近くなった夜空が見える。雨は降りそうではない。屋根の下の煌々とした灯りと電光掲示板が寂れた屋台のように通勤客の帰宅を迎える。階段を降りて改札を抜ける。定期券がもうすぐ切れる。ここは深海ではない。

 駐輪場までの暗い道は、少しだけ海の底のようだ。建物の間に切り取られた空。壁に映る私のもっさりとした前髪の影。鮟鱇のランプに見えなくもない駐輪場の電灯。暗い地上をゆるゆる切り裂くように自転車を走らせる。

 家や建物の間の道から見上げると、自分のいる場所が世界の底に見える。すなわち、深海だ。夜の小学校が右手に見える。夜の小学校の古い窓や壁、黒い木の影はまだ昭和を抱えているように見え、居もしない亡霊が息を潜めているように思える。子供時代に怪談が流行るのは子供が子供だからではないのかもしれない。おそらく、すべての小学校は昭和の死者を抱えているのだ。マスクを外す。顔に秋の夜の空気が触れる。これくらいの季節の夜が一番好きだ。

 狭い道に入る。孤独のことを考える。それでも私は、後悔などしていないと考える。後悔はしているのかもしれない。だけれど、私にはつねに、別の選択などなかった。「無能だから常に人生が一意に決まるんです」と、誰かに言おうとした言葉を反芻する。多分口に出して言うことはない。前方から車のヘッドライトが暗さを切り裂き、後ろから無謀な運転の自転車がすり抜けていく。小太りの呆けた顔の男が乗っている。自転車を飛ばしているときの私も似たようなものかもしれない、と思う。人生を何度やり直すことになっても、所与の条件さえ同じなら、私は寸分違わぬ人生を繰り返すだろう。そうなると、特に前方に何も見えていない私の未来も、もう寸分違わず確定されているのかもしれない。そういえば、その光景は暗く狭い住宅街の道に似ていたのかもしれない。

 マンションの駐車場の前を通る。半立体駐車場の屋根の向こうに、暗い空に一つ、まともではないオレンジ色をした星が光っている。まともではない色だから恒星ではなく惑星だろうと思うが、今では星を見ただけで名前を当てられなくなってしまった。自転車を停めてマンションの階段を登る。マンションの外階段から夜の空を見上げながら、海の底を少しずつ登っていく。そう、他の選択はどの瞬間にもなかった。繰り返しても、繰り返しても、その答えに辿り着く。だから深海に沈むのだ。そうすることでしか、復讐できないこともある。

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