マガジンのカバー画像

休職・復職の記録

24
noteを始めるきっかけになった休職・復職にまつわる自分の体験談や発見と、仕事について考察・記録します。
運営しているクリエイター

記事一覧

メンタル治療中の恋愛は何も生まない

体調を崩してから2年、休職してから1年半が経つ。 4月からは勤務制限を解き「イチ社員」として新部署に行くので、自分としては「体調を崩した自分」から卒業できる心づもりで、「心身の健康が崩れている時」の恋愛を振り返る。 初期:びっくりするほど恋愛をするキャパが消える 異性への興味、恋人がほしいという恋愛への関心、性欲、とにかく減る。消える。むしろコンディションが良くないので「今、運命の人とか現れないでくれ。タイプの人とのチャンスが訪れないでくれ」と願う。 周囲のプライベート事

メタ認知ができればメンタルは守られる

あっという間に3月。 新部署のグループチャットが動き出し、「本当に自分は新しい仕事に挑戦するんだな」と実感してきている。ビジネス本を読んだり専門用語を調べたり… 引っ越し先も先月末に決まって、転居の手続きが進んでいく日々。 福岡で会っておきたい人に会い、転勤を知った東京の友人からSNSでコメントが届く。 順調だと思いたいが、実は心身の波がまだある。 他人に期待しない、と頭で分かっていても上司の反応に涙が出たり、やっとカフェで数時間作業できるようになったのに帰宅したら腹痛に

もう少し、実家で過ごすことにした

こんばんは。 仕事と適応障害について久しぶりに。 夜勤が出来ない制限勤務の私は、年末年始バッチリ休み地元に帰りました。 先週戻ってきて、今日でちょうど一週間が経ちました。 婦人科など行かなければいけない用事から、年末に会う約束をしていた同級生とのご飯など、割と予定のあった一週間。 転勤が決まった先月のように、適度に勉強して出稿して、合間に行きたい店を調べて外出を増やしてーー とにかく引っ越しまで先月のような生活を続けるつもり。だった。 でも早くも、あの”涙もろさ”や

復職5ヶ月目の年末。嬉しい!楽しい!生きてる!

こんにちは。 復職してから毎月末に振り返るnoteも今回で最後になりそう。 年末だからではなくて、やっと“本当の心身の安定“が今月から定着してきているから。 現在も相変わらず仕事らしい仕事は出来てません。でも、ここではもうそれでいい、○○だけ継続して出稿しよう!と産業医が提案してくれ、”記者として動けていないこと”への罪悪感や時間を持て余してる焦りを、手放しました! 何より、先日私は自力で環境を変えるチケットをゲットしました! 心は正直です。 あれから、本当に落ち着いてい

逆転!吉報がキタ。

こんにちは。仕事もままならず 泥のように下降して停滞していた11月、12月初旬でしたが、待ち望んでいた件で、希望の光が差しました! ↑この記事で、私が唯一望みを託しているのは、この公募↓の結果だと記した。 報道から離れてビジネスの仕事ができること・社内公募に受かって友達のいる東京に異動することを願い続けていた。 待ちくたびれてヘロヘロになっていた先日、やっっっっと、採用の連絡を貰った!!!!!!!!! ドーハも歓喜していましたが、私もライフプラン・キャリアに新たな道が開

復職しない方が良かった?4ヶ月目、会社に泣かされる日々

こんにちは。毎月末に記録をしているものの、 11月は、夏とは違うつらさが次々発生。復職4ヶ月目を振り返るnoteを書くことをためらい、気力も失っていた。 12月になってしまったが書き出してみる。 (前回はこれ)懐かしい、遠く感じる。 その後、プライベートでは弾丸箱根を決行した中で”自分の働く場所”を考え直したり…そもそもの目標に疑問を持ったり…を経て、決断があった。 私自身はそもそも「仕事を振ってくれ」と思って復帰したし、夏から”どうしたら波に乗れるか”試行錯誤を続け、

組織と社員にも潮時がある?縁を切りたくなる

記者からの職種転換を決心して、 先週産業医が人事課長に希望を伝えた。 人事課長が、上司のトップ(局長、報道部長)には話してくれるらしい。 産業医と2人でアレコレ外堀を埋める計画していたが、最短経路で申請は進んでいきそう。 会社は12月中には次年度の辞令会議をする。最短経路で申請が伝わる状況はありがたい。私はいま、天命を待っている状況だ。 ここまではいい。ーーー ただ、別件で(産業医が制限勤務報告書に”リモート中心”と書いてしまい) 「私がリモートワークばかりしているのな

私は何のために治療しているのか。決断したら涙が出た

仕事に関するこれまでのnoteとは矛盾した内容です。決断を更新しました。 ↓このnoteは私がこれまで書いたものの中で一番ハートをいただいている記事ですが、これとは違う新たな決断をしました。 結論から書くと、 ”記者としてフル勤務に戻るというゴールを取り下げて、「記者職」から降りたい”と産業医に表明しました。 自分の本当の気持ちに気づき、”ああ、記者ではない道を今日、自分で選んだんだなあ”と、決心したその日はパスタをゆでながら少し涙が出ました。 涙は未練ではなく、終止符

昨日沢山整理して「自分は実はフル復帰したいんじゃない」と気付いた。そこに向けて医者通ってたが…来年も記者職なら辞めるってことだ…。少し涙も出たが続ける「デメリット」が上回った。夢で前任地のオフィスが出てきた。起きたら、奥歯噛み締めすぎていたようで顎が痛すぎ😂痛み止めを飲んだ朝。

やっと…散歩に…出てみた…。 初散歩…(園児ですか) 散歩挑戦に1年以上かかった😂 「目的がないことが嫌い!だからしてない。ムリ!実家でもしなかったさ!」 と母に言ったら 「好き嫌いが強すぎるんだよ!散歩自体が目的だろ」と諭され…笑

【治療か気質か】私の心身の回復には、HSE(外交的HSP)も関係しているのだろう

こんばんは。 実は先日、「かくれ繊細さんのやりたいことの見つけ方」という本の存在を知りました。 こちらです。自分に当てはまること、今後も読み返したい言葉が多くて付箋の数が大変なことに…笑 HSPはいわゆる”繊細さん”ですが、HSPにも4タイプあるらしい。 私は右下のHSS型HSE(外交的・刺激を求める)に当たる。ずっと指摘されている&自覚している”猪突猛進なのに気にしい”という矛盾した性格はこれが所以だ。 本書を読み主にわかったこと ・世の中は非HSPが8割。自分は人と

住拠点を安定させたいと確信した矢先、会社が面白いことを通知した…

先日、転勤のない仕事に転職した同期に、「転勤もうしたくない。辞令が出たら転職選ぶかも」とぼやいた。(上記note) 同期は「うちらみたいな感受性強い人は、どこかで安定した拠点を決めて住む方が良い。物理的移動も毎回の配属ガチャも、負荷だよ」 と言った。「住む場所」が優先順位一位だと一足先に気づいた同期はぼやきに共感し肯定してくれた。 そのたった数日後に、会社が、新規事業やデジタルメディア戦略といった、非常に私が興味のある部署の社内公募を発表した… 嘘やろ…私やっと自分の優先

復職から3ヶ月。一進一退。

(前回はこれ) 先月、自ら模索し、数年前に同じ本社で休職・復職をした先輩に思い切ってzoomでお話を聞いたnoteは↓。 あっという間のひと月だった。 (夏に比べて動きがあったからか、プライベートでいろいろ起こったからか。) 今月の一進一退を羅列 ①10月上旬、一番コミュ力がありハブとなっているデスクにカフェで全てを聞いてもらった(上記note) ②お願いが受け止められ、「僕が君の対応をする」と(従来の縦割りを超えて)個人契約を結べた ③「月一で地元に帰る」を今月も

仕事を再スタートできたものの…貯金はできない?

本日は給料日でした。入社した頃はとにかく仕事と遊びであっという間。 通帳の記帳も数ヶ月に一度。社内ポータルで給料明細を見ることも全くなく、あっという間にお金が貯まっていましたが、休職してゆっくり考えることの一つに「お給料」がありますよね。 うちは休職や復職を支援するシステムはガタガタ過ぎたけど、大手なだけあって(自分で言ってすみません)、休職中も在籍年数のルールに沿って、それまでの3分の1程度の給与をくれた。 (余談:怖いのは初めの3ヶ月は未消化の公休・有休だったこと。どう