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あんたにあの人たちの生活想像できんの?て言われた夜の話

頑固一徹。そんなあだ名がついても仕方ないくらい、昔から無駄に正義感が強かった(あだ名つくのは絶対に嫌やけど)。

そんな一徹が、自分の正義感の薄っぺらさに気づかされた出会いが、20歳そこそこの時にあった。

先輩と呑みにいくと、お店に赤ちゃんをつれてきた若い女性が2人入ってきた。そこは、なんか...音楽もうるさいし、タバコ臭いし、お酒嫌いだし...早く帰りましょうと真顔で何回も先輩にいうくらいの場所だった。そんな場所に赤ちゃんが2人目に飛び込んできた。20歳そこそこのわたしはそれが許せなくて、無茶苦茶腹がたっていた。

「信じらない!母親失格ですよ」

と、隣にいた先輩に、こちら側が正しい側の人間だと言わんばかりに興奮ぎみに言った。

先輩はちょっと笑ってから、こっちを向くことなく静かに、

「なぁ?あんたはあの子たちの生活想像できんの?人には人の事情がある。簡単にそんなことはいったらあかんよ。あんたが真面目なんはわかるけどな」

そう言って、ぷかぁとタバコの煙を気持ち良さそうにはいた。

その時のわたしは全然ピンときていなかった。

だって、お母さんは赤ちゃんを大切に育てるのは当たり前だし、夜に出歩くなんて考えられない。お酒を飲むなんて信じられないし。あの人たちはなんて悪い母親なんだって、そうとしか思えなかった。

わたしの当たり前の中では、彼女たちだけが悪い人だった。

それから少しして、短大時代の友達を通して、母親の経営するお店で働く女の子と知り合った。

一つ上の彼女は、金髪ショートの綺麗な顔立ちでお酒で枯れた声がすごくカッコよく響く人だった。

いつも強く見えた彼女が、わたしに弱くてどん底なそんな気持ちを見せるまでそんなに時間はかからなかった。

彼女が強い言葉を使うとそれはちょっと損する言い方かもと時々彼女に伝えた。彼女は知らないことはすぐに吸収する人で、強い言葉を言いそうになると一呼吸してくれるようになった。

注意をするのはわたしくらいだと言われた。いま思えば恥ずかしいくらい押し付けがましいことなんだけど、彼女はそれを愛情と捉えてくれていたんだと思う。

彼女の環境ではこの強い言葉が当たり前で、もっと強い言葉を浴びてきたのだ。それは、彼女の家に立ち寄った時になんとなくわかった。

彼女がどうしてお店を手伝うか、彼女がどうして強い言葉を使うか、彼女がどうして自分を傷つけてしまうのか。

わたしの当たり前とは違う環境があって、彼女の母親もわたしの当たり前ではない環境で子供を育ててきた。

家族の当たり前とか。

家が一番安全だとか。

それが大前提で話していた自分が恥ずかしかった。

彼女や赤ちゃんを飲み屋に連れてきたお母さん達のバックグラウンドは自分と一緒だと無意識に思い、その前提で何もかも話していたのだ。

わたしは本当に何にも知らなかったのだ。大した経験もない自分の当たり前の世界だけを信じて、偽物の正義感で、誰かを嫌っていたんだ。

わたしは思いあがってた。母が綺麗に部屋を保っていたこと、あたたかいご飯が食べれてたこと、おやすみに海にいったり買い物にいったこと...全てが当たり前じゃないんだってことが体にぶわぁて入ってきた。

このときに、見てないことや知らない世界を自分の浅い知識やまわりの意見で決めつけちゃいけないんだって、ココロで学んだ。

えらい人の言葉も勉強になるよ。確かにいろんな方の経験が詰まった本は参考になる。でも、できれば自分の目で周りをゆっくり見てみてほしい。

当たり前の景色の中に、自分の当たり前が変わるような景色があるかもしれないから。










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