大好きなご飯屋さんが突然閉店して思うこと
別れはいつだって突然だ。
というと、大げさだけど。
今日カフェに行こうと、何気なく 大好きなご飯屋さんの前を通りがかった。
遠目から見ても、いつもと外観が違う。
透明なガラスばりのそのお店は、いつも店内が見えるのに。今日は、なんか白い。
ガラス全面に真っ白い紙がベタ貼りされていて、中の様子はなにも見えなくなっていた。
近くで見るまでは改装かなと思ってた。
もう少し近づいて、看板がないことに気づく。
……
…………もしかして、
予想は的中した。
そこにあったのは、「閉店のお知らせ」と書かれた紙。
メニューも豊富でまだ食べてない品もあったのに。
お昼の忙しい時間帯を外して来てもお客さんはいっぱいで、儲けはそこそこあったように見えたのに。
店員さんはホスピタリティあふれていたし、味はとても美味しかったのに。
なんで?がぐるぐるする。
ここで反射的に出てくるのは、「自分のしたいことを叶えてあげよう」とか、そんな安っぽい希望の言葉だった。一回書いたけど、その言葉を消して、あまりにダサすぎる自分を張り倒したくなる。
そんなのであっていいはずなんてあるわけない。
もっと具体的な「なにか」を、切実に欲しているのに、考えるのをストップして、楽をしようとしているのだ。
求めている「なにか」の正体は、まだ当分掴めそうにない。
分かった気分になれず、気持ち悪いかぎりなんだけど、いったん受け入れる他ない。
そうだとするのなら、希望の変換前に、元に戻して様子を見るしかないでしょう。
希望ってヤツは、たくさんの人に支持されがちで。さらにタチが悪いのが、数人の共感の声を得れば、それは正解なんだと容易に信じ込める。
分かったフリができる。一時的には、心が落ち着く。満たされる。
でも、実際、わたしにとっては不正解にすぎないから、ちょっと時間が経てば、また不安が湧き上がってくる。満たされてなかったことに気づく。テンプレはいらない。
変換前のそれは、なんだったのか。
たぶん言葉にするなら、ノスタルジーってやつ。
ノスタルジーは何に化けるか。
信じた道が行き止まりなら、こんな感じで確信の持てるところまで戻って、やり直すだけ。
考え直し続けたいけど、今日はここまで。
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