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想像力が欠如したコトバと、心の余裕の無さと

今日、国民保険を父の扶養に入れてもらうために、失業保険の情報を渡したのだけど。

「一年目からこんなに給料もらってて、それでやめちゃったんですか?」

って、言われたらしい。

給料の額面だけ見て、何がわかるというのだろう。

その言葉はわたしの心をとげとげしくさせた。


お金の不自由さから解かれたところで、わたしの精神は不安まみれで不自由だった。

わたしのポジションが欲しいというなら、誰にだってくれてやるよ。

給料も、望外な家賃の社員寮も、用意されたあたたかいご飯も、何もかも放り投げた。

そしたら、入ってくるものがあった。

お金はまだしっかりと生計を立てられるくらい入ってきてないから、今の状態でしあわせなどと言うことは口が裂けてもないけど。

会社の外に出るまで、自分自身がこんなに自由だって知らなかった。

親への感謝もこんなに感じられなかった。

周りに生かされているという心地も。


勝手放題、他人はどうとでも言えばいい。

わたしも、自分の好き放題やればいい。

他人とわたし。見える世界が違い過ぎる。

気にするだけ、徒労。


付き合いの飲み会なんか行くのまっぴらだ。

お世辞笑いも、同意できない意見に同調するのも、疲れた。

働く場所・生活する場所を縛られるのもヤダ。

何十年と会社に通う毎日を過ごして、わたしの人生かけてできるものって何なのだろうって考えると苦しくなった。

会社を辞めた理由なんて、ちっちゃい子が喚いて言いそうなこんな内容だった。

そんな喚きを、見過ごせなかった。

この喚き、自分ができないと思い込んでただけのものも確かにあったなと今なら気づける。


わたしのことを、我が侭と呼びたいなら呼べばいい。

満足してないものを満足したフリをするなんてありえない。

自分が慕う人に精一杯ついていきたい。

いつまでも夢見てんなよって言われたって、わたしの世はキレイごとで出来てるんだもの。

場所関係なく働けるお仕事で、十分に稼げる生き方を確立する。


大事だと思える人のそばで過ごしてこその此の命。

恋が人生の100%を占めてるわけでも何でもないのはわかってる。

恋する相手がいない今だって楽しい。

それでも、環境は思考も運命も変えるってわたしは身をもって知っているから。

愛した人についていくことができて、いざとなったら相手を守れる強さを。


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ブログでは全然違うこと書いてます。

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