ある雪の日に
吐く息が白い。世間は三連休初日の休日だというのに、わたしは仕事に向かっていた。
いつもの変わりばえしない景色。眠くてまだ完全に起きてない体を誤魔化して動かし、すっぴんのまま最寄りの駅から電車に乗り込む。マスクが鬱陶しいなぁと思いつつ、すっぴんをさらすまいという、せめてもの礼儀。
あ、雪。
電車の窓から、まばらに雪がちらついてる。彼と別れた夜もこんな天気だったなぁと、灰色の景色を見ながらぼんやり思い出す。
* * *
あれは1ヶ月前のことだった。彼から「話がある」と切り出されて、なんとなくの予感はあったように思う。
久しぶりの連絡。私たちの関係はなんとも説明しがたいものだった。
曖昧で、グレー。お互いがお互いを利用しあうようなズルい関係。いつからなったんだろう。
都合がいい時にしか、彼からの連絡はやってこない。突然、いつも真夜中に呼び出される。
彼の家は 最寄りの駅がある繁華街から歩いて15分くらい。深夜呼び出しておいて、彼氏であるはずのきみは迎えになんて来てもくれない。きみの家に行く途中、何度ナンパにあったことか、そんなの数え切れない。恨み言をつぶやきながら彼の家に向かう。
彼の家のベルを押して、開口一番たずねる。
「ねぇ、最近なんで夜にしか会えないの?」
彼はこう切り返す。
「仕事が忙しくて。最近は仕事のことで悪夢を見るくらい」
なにそれ、ずるい。そんなこと言われたら、もうそれ以上聞けないじゃないか。
「好きだよ。××ちゃん」
ごまかさないでほしい。熱っぽい声で、甘いセリフで、きみが囁くのは決まって私の機嫌を損ねたような時だった。流される。流されて全てがなかったことにされる。
大事だったはずの彼への「好き」という気持ち。少なくとも、以前はその凹凸をしっかりと捉えていた。
いまの私の視界はひどい霧の中にいるみたい。
すきも、きらいも、妙に現実感がない。
なんだか、ふわふわし過ぎて、きもちわるい。
その凹凸が、その輪郭が、どんどんぼやけてく。息がしづらくなってきて、肩で呼吸する。
ベッドの上で抱かれながら、きみの顔越しに天井を見てる。遠くなる意識の中ぼんやりと考えた。
汗ばんで、恥じらって、横に温かい体温。睡魔が襲ってくる。あーあ、もう。どうでもいっか。
会う回数を重ねるほど、わたしは彼を許していいのだろうかと葛藤していた自分を黙殺する術を徐々に覚えていったのだった。
それでもいいかなって、当時は本当に思えてた。わけもなく、ただきみに甘えて触れたかった。
* * *
……いけない。降りしきる雪に引きずられて過去のことを思い出し過ぎたみたい。今はそれでいいなんて到底思えない。
あの頃のわたしとは、もう違うんだ。
そろそろ電車から降りなくちゃ。わたしは会社の最寄駅で下車する。
元来、わたしは、自分の感情を麻痺させることが苦手なタチだった。それに慣れてきた頃から、きみとわたしの関係は変わってしまったんだよ。振り返れば。
悪気ないきみの振る舞いで傷つく自分に蓋をして、どうでもいい”フリ”をしていた。
会社に着くまで、もうすこしだけ。歩いて向かう道の途中、わたしはあの日を振り返る。
* * *
彼から別れを告げられたその日。その夜は、こんな風に雪がしんしんと降る日だった。
わたしは、彼の部屋の扉をあけた。
「久しぶり」
悪びれもなく、彼はそう言ってのける。そのくせ、少し目を伏せて彼は言いづらそうに続けた。
「…別れよう」
再会の挨拶の次にくる言葉がそれ? 信じられない。雪が降る中、あなたの家に会いにくるまで、ほんと寒かったんだけど。わざわざ会いにくる必要なんて、これっぽちもなくて自然消滅でよかったじゃないかと、毒づいた。
別れたいと告げられた私は、「うん」とひとこと言うのがやっとだった。無表情だったとも思う。そして、わたしはひとこと吐き出した。
「さよなら」
彼の表情が一瞬波立つ。
「え…… もっと動揺されると思ってたんだけど、」
何をいまさら……?別れを告げたのはあなたでしょ?
たぶん、ずっと長い間、どこかしら予感はあった。
さよならを告げるのも、わたしは靴を履いたままの状態。扉をあけてから、ほんの30秒くらいの出来事だったと思う。彼がなにか言いたそうなのを尻目に、さっさと扉を閉めて彼の家から去った。言いたいはずだったことは飲み込んだ。もうきみの顔なんて見ていられなかった。
その帰り道、彼のラインをすぐにブロックした。
未来に少しでも期待してしまう自分を、なんとかして葬りたかった。
どうでもいいなんて嘘ばっかり。彼の家から帰る道で、涙が出てきて、しゃくり上げるほど泣いてた。傘も持ってなかった。体は冷え切ってて、顔面は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで。すれ違う他人の視線が痛くて、そのまま雪に埋もれたいなんて馬鹿げたことがよぎった。死にたさに飲み込まれそうになった。精神的にはズタボロなこんな時でも、吐く息は相変わらず白かった。
そんな夜はあの一晩だけで十分だし。演じるのは、もうやめだ。
ほんの少しずつ彼へ期待して、その度にがっかりして。すり減っていくのは、もう堪えられない。コップから溢れた水は元に戻ることはない。
* * *
ただ、このところ悔やんでばかりいる。
もしも、わたしがもう少しだけ我慢強くて甘え上手だったら、私たちは終わりを迎えずに済んだのかな。もう演じ続けることはできやしないけど。
今のわたしなら、あなたと別れずにやっていける。そう思える日はいつか来るのだろうか?
薄いかさぶたで覆われた傷口は、たぶん見た目以上にキズが深くて、じゅくじゅくと痛む。
それでも、考えて考えて、考え抜いた上での言葉だったはず。きみの手で終わらせてくれたのは、ある意味楽なことだったかもしれない。
当たり前だけど、きみがいなくたって毎日は進んでいく。
今日もそろそろ仕事が始まる時間。もう会社の入口。
エントランスに入る前、そっと目を瞑る。頬に感じるひんやりとした朝の空気が気持ちいい。
今日も一日がんばろう。
飛ぶように過ぎていく季節を、右目で見送って。あなたとすれ違うことはもう二度とない。
* * *
だいすきな、椎名林檎さんの「すべりだい」がテーマ曲の妄想。わかる人にはわかる、歌詞からちょこちょこフレーズいただいてる。
気に入ってくださった方は、どうぞ曲のお供にしてくださいなぁ。
一番エモいのは林檎さんの曲だけど、三浦大知さんのカバーも予想をぶっちぎり上回るエモさなので、よかったら聴いてみてほしい。
1分の試し聞きできっと魅了されるから。
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