捨てられないわたしと、軽やかな彼女
わたしは、捨てるのがニガテだ。洋服も、本も。古くなったものも愛着があるからという理由で、なかなか捨てようとしない。
いつか使うだろう。そう思えないものでも、愛着があるものを手放す時には、捨てる前に「ありがとう」といっしょに写真を撮る。なかなか滑稽なことをしてるなと、我ながら思うのだけど、そうしないと捨てられない。一種の儀式のようになっている。
そんなわたしは、捨てるのが上手な人を見ていると、心底うらやましくなる時がある。
昨晩いっしょに飲んでいた彼女も、そんなひとりだ。そもそも物をあまり持たないという彼女。彼女が捨てる時の様子を聞くと、こんな話をしてくれた。
「一週間経っても、洗った洗濯物がずっと干されっぱなしって洋服が時々あってね。それって、よっぽど着たくないんだと思うの」
ちょっとどころか、だいぶ衝撃をおぼえた。わざわざ自分で買った服なのに、着たくないなんてことあるのか……と。
たしかに、人だから好みは変わっていくし、その日の気分だってあるとは思う。
だけど、捨てるともう二度と 捨てたものたちには会えなくなるような気がして。
捨てるのが怖くないんだろうか?
もう二度と会えなくなるとは思わないんだろうか?
わたしは反射的に疑問を持つ。それでも、彼女の話はつづく。
「でね、洗ったまま、もう着ることもなしに捨てちゃうの!」
そう笑いながら言う彼女がえらく男前に見えた。捨てるのを大げさに恐がる自分の考えには、偏りがあったことをようやく認識する。
いやいや、じぶん、怖がりすぎではないか。
捨てるのを嫌がるのは何も物質だけではない。お金も、人間関係も、おんなじように手放すのを恐がっている。よく言えば貯金ができるし、きちんと備えを持つ。悪く言えば、依存心が強いしケチだし過去にこだわってしつこい。
一方の彼女は、「また買えばいいし」で、邪魔なものは捨てる。その代わり、いま自分の周りにあるものはめちゃくちゃ丁寧に全力で大事にする。
豪快に見えて、意外と丁寧に生きている彼女の笑顔がステキだった。
一度は好きでも、嫌いになることだってあるし、嫌いになったなら自分の気持ちに正直でいればいいじゃん。
いまの自分の気持ちをごまかさないのって、我慢を続けないのって、いいな。
過去に縛らなくても、未来に不安を持たずとも、いまを生きてる。
わたしもそんなふうになりたーい。
となりの芝生は青く見えるよ。いつまでも。きっと。
わたしの芝生も、じぶんで褒めるに越したことはないよねぇ。
細かくて気にすることが多くて パーフェクトを目指しちゃうわたしも、彼女と同じように尊い存在にちがいない。
他人のよいとこは吸収しつつ、自分の特性も受け入れて、お金・物・時間の使い方を磨く。
あ、だいぶ話が脱線しちゃったや。
断捨離したいねってお話でした。
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