友人が亡くなったことを聞いて
2018年の三箇日の夜だった。わたしは父とお酒を飲んでた。
会社の元同期から「大事なことを話したいので、電話できるかな」とLINEをもらった。ほろ酔い気分で、いいよとすぐに返事をかえした。
わたし「明けましておめでと~!」
元同期の男の子(以下、Aくん)「新年早々申し訳ないんだけど、」
わたし「なになに~?」
ほろ酔い気分でテンション高めなわたしに、Aくんはこう言った。
「Mちゃんが、亡くなったって」
・・・
・・・・・・?
ふざけてこんなことを言うはずない。実感がないというか、もはやよく分かんなかった。
「そっか」
どんな調子で答えていいかさえも不明瞭だった。
Mちゃんは、会社の元同期の女の子で、持病を抱えている子だった。病気について詳しく話すことはなかったけど、その病気が難病ということだけ教えてくれた。けど、こんな突然亡くなるなんて思いもしなかった。
Mちゃんは、無邪気でかわいくて。明るくて一緒にいると元気をもらえるような子で。難病の存在を感じるのは、彼女が階段をのぼるのに時間がかかることくらいだった。
彼女が病気のことで弱音を吐いた姿をわたしは見たことがない。
わたしだけでなく、一番仲が良かったであろう同期の子にも。検査入院が長引いて不安もあった時でさえ、そういったことは言わなかったんだって聞いた。
Mちゃんとは、同じ寮に一年間住んでた。夕ご飯をよく一緒に食べた。
同期で飲んだ帰り、寮に帰る道のりで、Mちゃんのことを無意識に思い出してしまう。
この道さ、わたしが泥酔した時、しっかり者のMちゃんは連れ帰ってくれたよね。
あぁ、彼女はいないんだ。
もう、わたし、ひとりでもきちんと帰れるから。
6年半付き合った人にフラれてご飯も喉に通らなかったとき、今までの恋愛のこと、会社のひとではじめて打ち明けたのもMちゃんだった。
もう、新しい恋ができるほどには、元気になったよ。
「会社員やってて、代わりのきかない存在になれるわけない」そう頑なに思い込んでた自分が恥ずかしくなった。わたし、とんでもない思い違いをして、もしかしたら 誰かが傷つくようなことを言ってしまっていたかもしれない。ごめんなさい。
言葉より、生き様で。
どんなカッコいい理想論を語られるより、彼女と時間を共有できたこと。それだけで、わたしが今まで信じてきたことを見直したいと思うには十分すぎた。
わたしにとって、Mちゃんはかけがえのない存在だった。
わたし、人生最後の日、なにをしたいかな。
生きている間に、なにを成し遂げたいかな。
望めばきりがない。なんとなく一日一日を生きていれば、あっという間に年をとっちゃうんだろうね。
60才のわたしから見たら、20代後半の今のわたしってすごく羨ましい存在だと思う。
Mちゃんみたいにさ、まわりの人も、じぶん自身も笑顔で過ごせるように。
ささやかな願い、一個ずつ着実に叶えるよう、毎日精いっぱい生きるね。
今までたくさんありがとう。だいすき。
また会う日まで。
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Mちゃんのこと想うと、心が痛んで、まだくるしいけど。
Mちゃんが亡くなって辛いことを、大好きなある人に伝えたら、こんな嬉しい言葉をもらったんだよ。
本当はもっと長いんだけど、ひとことだけ。
「だからこそ、つないでいこうね」
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