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昭和の日
◆概要
日本の祝日のひとつ。
4月29日は2006年まで「みどりの日」であったが、2007年から「昭和の日」となった。
昭和天皇の誕生日で、この祝日の意味合いをめちゃくちゃ雑にまとめるなら「忙しなかった昭和の時代を思い返して、未来について考えよう」の日。
ゴールデンウィークと呼ばれる連休を構成する日でもある。
以上、インターネットより。
◆駄文
大型連休の3日目。それとなく土日を無駄に過ごした僕は、ちょっとした生産性を求め、街へ繰り出した。ただ家でうだうだとしているよりはよっぽどいいと思っての判断だったのだが、正直に結論を伝えるのならば、失敗した。
目的もなく街を徘徊するとどうなるのか。
少し考えればわかる事だったのだが、「せっかくの連休に何もしていない」という焦燥感に身を任せ家を出た僕は、そこまで考えが及んでいなかった。
人通りの多い道の片隅に置かれたベンチに腰を下ろして、人の流れをぼーっと見やる。
そこには、この連休を思い思いに楽しむ人々の姿があった。
充実した、充実してる。満ち足りた、満ち足りてる。楽しんだ、楽しんでる。そんな人々の姿があった。
今の僕が、最も見たくない人々の姿であった。
お察しの通り、僕は性格があまりよろしくない。決して他人に誇れるような人格者では無い。
自分が不幸なとき……いや、言い過ぎか、自分が幸せでないときに、他人の幸せを見ると、まるでその幸せを見せつけられているかのように感る。お前がもっていない幸せを、自分たちはもっているんだと、まじまじと誇示されているかのように感じてしまう。それが、一方的な被害妄想であることは重々承知しているにも関わらず、そう、感じてしまう。そして、そう感じてしまう、感じてしまった自分に、被害者面を掲げる自分に、嫌気がさして、より一層の不快感を覚えるのである。
だから、目的もなく街に出たのは失敗だった。
目的や目標があれば他人の幸せに目など行かない、行く暇もないのに。今はそれがないから、嫌に目についてしまうのだ。
ベンチに腰掛け、たまま空を見上げた。猫背で曲がりきった背中が伸びる感覚がした。なんて散歩日和ないい天気だろう。なんて腹ただしい。
と、見当違いで場違いな感想を抱いたことに気がつき、自分の精神衛生が想像以上によろしくないことを自覚した。
帰ろう。
このままでは、この見当違いの不機嫌を他人にぶつけてしまう。そんなことになっては、きっと自己嫌悪どころでは済まないだろう。
そして、数日後にまた始まる連休に何かしら、有意義な、もしくは、自分が有意義だと思える何かしらの用事を入れよう。でなければまた、今日と同じことを繰り返してしまう。
僕はベンチから立ち上がり、イヤホンで周りの幸せの音を遮断し、周りの幸せを視界に入れないように背を丸めながら目を伏せた。
今日の唯一の収穫は、自分が思っているより何倍も、自分が虚無に対して耐性がないということである。
P.S.
もはやタイトルは関係ない話をしてる。