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久しぶりの塞翁が馬体験

なりすまし詐欺に巻き込まれる。

完全に騙された。しかしギリギリのところで気がついたので損害は小さい、という感じ。

ニュースでよく聞くし、会社でも注意喚起があった。
それでもそれでも、あー騙される時は騙されるんだな、と思った。やはり後味悪いなぁ。

「アップルギフトカード詐欺」

でググると大量の記事が出てくるではないか。

逆に知らなかったのは私だけくらいか?というくらい世間ではよく知られた手口らしい。

私の場合は、上司を装った偽のメールが届いた。

「今、会議中で手元にケータイがないから、このメールに返信で電話番号を送ってくれ。」

そして電話番号を送るとSNSでメッセージが届く。

「クライアントに急ぎ、アップルギフトカードを送って欲しいんだ。」

と連絡が来て、まんまとギフトカードを購入してしまった。

「裏のスクラッチを削って鮮明にそこの部分を写真で送ってくれ。」

ここにきてようやく???となり気がつくことができた。

振り返れば、ここに至るまでたくさんの「?」があった。

(そもそもメールアドレス違うな、怪しくね?)
(電話番号、海外のだよな、怪しくね?)
(何でアップルギフトカード、使いづらくね?)

しかし、もう上司の名前が書いてあると、
(依頼がヘンテコだが、まあ業務命令なら仕方がない)

というように自分の都合の良いように解釈をしてしまった。これがいけなかった…。

人生初めて「なりすまし詐欺」なるものに遭遇したわけである。

幸い、カードの情報を渡す前に気がついたので、お金は渡すことなく自分の手元に残っている。ただアップルギフトカードに換金してしまったので用途がアップル製品に限られてしまうのはちょっと難点ではある。

まあ、被害は小さくて済んだので不幸中の幸いと自分では思っている。

この出来事に遭遇した時、何だか懐かしい感情が湧いてきた。

この心情、まるで20代の運転免許取り立ての頃にねずみ取り(スピード違反取締)に捕まった時になんだか似ているなぁ、と思った……

運転にこなれてきた、20歳で大学生の頃。長距離運転もできるようになって、まさに車を自分が思うままに操っているような感覚だった。車の運転が楽しくて仕方がない時期だった。

田舎の国道。緩やかな上り坂。信号が青に変わり、アクセル全開で快調に走り出した矢先…

急に「止まれ」の三角サインを持った制服を着た人が急に道の脇から私の車の前に飛び出してきて私は心臓が飛び出るくらいビックリした。

数秒経ってそれが警察官だと気がついた。
誘導されるまま側道に移動して停車。

「はい、スピード超過ね。運転免許証を出してください。こちらのワゴンに移動してください。」

誘導されるがままワゴンに連行される私。

「どうしてスピード出し過ぎてしまいました?急いでいました?」

私「はい…」

本当は特に急いでいる訳ではないが、言葉が出てこなかった。

「では罰金として一万円徴収します。」
※金額はうろ覚え。

「では気をつけて運転してくださいね。」

その後の帰り道の運転は全く意識が飛んでいた。何も考えられない状態。

(え?何で?どうして?なんで自分だけ?1万円、どうしよう?)

当時大学生の私にとっては大金だったし、たくさんのハテナが頭の中でぐるぐる回りっぱなしで無心で運転していた。

そんな心持ちでも無事家に到着。早速家族に”ねずみ捕り”に捕まったことを話した。

そうすると親は淡々と私を諭すように語りかけてくれた。

「あんた、良かったねえ。ここで捕まらなかったら、もしかしたら大きな事故とか起こしていたかも知れないよ。今回のスピード違反がその危険性をあんたに教えてくれたんだよ。」

うーん、捕まったことのショックが大きくて、認めたくなかった自分だったが、家族からそういわれてちょっとだけ前向きにこの出来事を捉えることが出来た。

あー、自分はむしろ救われたんだ、と。大事故を起こしてどうしようもないことになる前にこの程度で済んだんだのか、と。

そしてそれから人が入れ替わったように私は安全運転を心がけるようになった……。

というエピソードを思い出し、今回のなりすまし詐欺の出来事も、初めてのスピード違反の時と同じように、もしかしたらもっと大きな被害に遭う前に、自分の脇の甘さや危険性を私に知らせてくれたのかも知れない。

大学生の当時、「人間万事塞翁が馬」なんていう故事は知らなかった訳だが、今振り返って人生時々この「塞翁が馬」的な出来事に遭遇することがあるなぁと思う。

実際、詐欺に遭った人は相当に辛い思いをするだろう。悔しい思い、なんであの時騙されたんだって後悔の念に悩まされることだろう。被害の大小によってもダメージは変わってくるだろう。

私はそういった方に比べれば”擦り傷”程度で済んだのだからこんな心持ちでいられるのかもしれない。

だけど、痛い思いをした時こそ、それを負の感情だけにしてしまうと、それは不幸から不幸を招いているんじゃないかなぁと感じてしまうし、そのループに入ってしまうと立ち直れなくなるのではないか、という不安もある。

だから私は、こういった不幸な出来事に遭遇した時は、「人間万事塞翁が馬」と捉え、この出来事が私の厄を払ってくれたのかな、と捉えるように心がけている。そうすることで早く自分の気持ちをリカバリーできると信じているから。

皆さん、くれぐれも怪しいメールにはお気をつけください。

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