ムダな努力なんてない
会社の車がリース満了に伴い新しくなった。
前のやつはマニュアル車にディーゼルエンジンとゴリゴリの社用車感満載のやつだった。まあ、ディーゼルだと馬力があるのでそれはそれでメリットもあったし、マニュアル車は何といっても自分で操縦している感がある。
新しく来た車は車種は同じ、でもなんだか澄まし顔。オートマになりコントロールパネルもタコメーターも全てデジタル表示と近未来感が漂う。
最初はオートマの楽チンさや車内の静かさに魅了され、「うーん、新しい車はやはりいいなあ」という優越感に浸っていると、ふと何となく運転中に違和感を感じはじめた。
なんかしっくりこないというか、どーも変な感じがする。
しばらく経って、その違和感はドライブアシスト機能が原因だということに気がつく。
まずは車線のアシスト機能。これはとてつもなく優れもので、車が走行中に車線を認知して少しでもはみ出しそうになると自動で中央に調整してくれるというもの。ちょっ緩いカーブで少しはみ出しそうになるとハンドルがクックックと勝手に動く。最初、この機能を知らなかった私はハンドルが勝手に動いたのでびっくりした。
(なんだ?何かの誤作動か?)
と一瞬焦ったが、そこは親切に液晶モニターに「車線アシストON」的なメッセージが出ている。
加えて車間アシスト。これまた優れもので前の車との車間距離を速度に合わせて調整してくれる。自動でブレーキをかけてくれる。
これも、今までと車の進み具合が違うので最初戸惑った。
(なんだか勝手にエンジンブレーキが効きすぎるなあ)
とか思っていたら、このアシスト機能の仕業だということに気がつく。
この他、とにかく気が利く機能が満載。スピード制限は勿論、制限速度が変わるところに差し掛かれば、
「制限速度が変わるのでアクセルから足を離してください」
と教えてくれる。
制限速度を超えると、
「制限速度を超えています、スピードを緩めてください」
と丁寧に教えてくれる。
小一時間くらい走ると、
「少し休憩をとりましょう」
と優しい一言。
エンジンを切って駐車したら、
「さよなら。ケータイ電話をお忘れなく」
のメッセージ。
なんて気が利くやつだ!!てか気が利きすぎるだろう、とちょっとこちらが落ち込んでしまうくらいに。
もうこっちが色々考えなくても車が色々教えてくれるし、さりげなくアシストしてくれる。もう車もなんだかハイテクになったなあとすっかり感心してしまった。
ただ一方で、免許取り立ての10代の頃に必死に運転テクニックを磨いた日々はもう無駄になるのだ、というちょっとした寂しさも感じる。
免許取り立てのころ、教習所で「もっとブレーキを丁寧に!」と怒られながらもやっとの思いで取った免許。若葉マークをはっつけて必死で車線の真ん中をキープするためのコツやら、停車時にいかにガクンとならないようにブレーキをゆっくり押して最後ふっと抜く力加減だったり、それこそ縦列駐車だったり。友達と一緒に練習した。
そしてその試練を乗り越え、自分の思い通りに車が操縦できた時の達成感というか高揚感、これがたまらない。
しかし、もう車が進化した今ではこんな感覚味わえないのだな、過去のものになるんだなあという年寄りあるあるの感慨にふける機会となった。
車の技術がどんどん進化していき、それこそ自動運転なんてもうすぐ先のことだろう。まさに実現可能な技術だと今回の経験で身をもって理解した。これで運転ミスによる事故が無くなるし、運転中に好きなことができるようになるなんてものすごい進化だ。
ただ、過去の苦労を知っている人間はこういった時代の進化にちょっとした寂しさを感じるんだなあ、と今更ながら理解できたような気がする。昔、会社の上司が海外の客先宛にメールを書いている私を横目に、「今の人たちはいいなあ、昔はファックスでいちいち流してたんだよ。」と昔の苦労自慢を聞かされても全く理解できなかったが、今はそんな先人たちのローテクによる苦労話がしたくなる気持ちが少し分かった気がする。
自分たちがそのローテクをいかに器用に使いこなすかのノウハウが技術の進歩によって無駄になる寂しさを味わっていたのだ、と。だからその寂しさを紛らわすため、いや過去の涙ぐましい努力アピールだったのだ。
加えて先日YouTubeで川上量生さんが「人間らしいのはバカをすること」とおっしゃっていて、なるほど技術が進歩すればするほど人間らしくいることはバカらしいことに一生懸命になったり、非合理的なことをやってみるということだったりということという意味が今回の車のアシスト機能に触れることで自分事として捉えられるようになった。
歳を取るといろんな疑問が解けていくもんだな、とまた一つ賢くなれた1日でした。