授業参観でちゃっかり親の私も学ばさせてもらった。
年に一度の授業参観。今年は3年生ということで教科も理科・社会そして英語が加わりバラエティ豊かに。
去年初めて授業参観に行った時、小一時間ずーっと立ちっぱなしで観ているのが正直キツかった。親になって初めて分かることって色々あるが、ある意味で
(ああ、よそ行きの服にすまし顔で立っている親たちって実はこんな気持ちで授業参観してたんだな)
というのは意外だったので自分としては面白かった。
なので今回も覚悟して行ったのだが、やはり途中から腰が辛くて辛くて、でもなんとか乗り切ることができた。
保護者の服装も様々。私の子供の頃なんかはどの親もカチッとフォーマル、それこそ男性はスーツにネクタイというスタイルの人がメインだったと思う。
今、自分が親になると、大分カジュアルに変わった。スニーカーにデニムとか、気合いを入れずにふらーっと、ちょっと授業参観でもしてくるか、くらいの感覚で良い。それくらいの方がみられる子供にとってもいいと思う。私も休日の服装のまま、一応靴は革靴で無難なスタイルを選んだつもりの中途半端な服装でいざ教室へ。
教室は服装のそれとは対照的に時が止まったかのように自分の子供のころとほぼ変わらない。
大きな黒板が前にあって、先生専用のどデカい定規やら分度器もあって、黒板の前に机がズラーっと並び、後ろにランドセルを入れる棚があり、壁には生徒の作品が一面に貼られている。
黒板の上に時計と学校の指針みたいなのが貼ってある。
まさに日本式の教育システムは私が受けた30年前とほぼ変わりない形を保っている。
変わったのは、天井にぶら下がったテレビが液晶になって大きめのサイズになり、それがiPadとつながって画面共有ができるようになっている。あとは教壇がなくなったかな。これは学校によっても違うのかも知れない。が教壇がないから黒板の前が広い。その方が黒板が見やすいのでいいと思う。
親目線で授業を受けていると、授業の進め方ってとても工夫がこされていて、よくできているシステムだなと改めて感じる。もちろんその先生の努力とかノウハウによってばらつきもあるだろう。しかし、学校の先生ってやはり教えるプロだな、と思った。ここには今社会人になって日々やっていることに通じる大事なコツがたくさん詰まっているなあ、と思う。
例えば授業に入る前に先生が一言、
「はい、今日の目安は〇〇です。」
と先ずは今日の授業で何を成し遂げたいのかを明確にする。ここまでやりましょうということを共通認識としてもつようにする。
また理科の授業では、
「今年の理科のテーマは、くらべる、です。」
と年間を通じてどういった姿勢で取り組むべきかを分かりやすい且つ端的な言葉で表現している。
これって今社会人になってやっていることとおんなじじゃないか?と思うわけである。
営業なら、今回の会議や商談の目安=目的を先ずは明確にしたり、あとは今年の活動のテーマは〇〇ですと掲げたり。
なんとなく社会に入ると学校で習ったことはあまり役に立たないと思っていた私だが、授業の組み立て方・進め方は物事を効率よく分かりやすく進めるためのコツがたくさん詰まっていることに気がついた。
これを毎日毎日やっていたのに、なんで自分はそんなことに気づくことができなかったのか、と嘆く。
それは、子供の頃はあくまでも生徒側の目線しか持っていなかったからだろう。早い段階で、先生の目線でも授業を捉えられる人はもっと幅広く物事を吸収することができるんだな、というようなことを考えながら、あとは子供の様子を見ながら、私の足腰の痛みを誤魔化しながらの授業参観を満喫した。
以前、人生の先輩から「全く初めて取り組むことでも、自分の過去の経験を用いれば習得にかかる時間を短縮することができる」というアドバイスをもらったことがあるが、今回はまさにそんなアドバイスと一致するような体験だった。
ともあれ、ウチの子供も含め活気あふれる授業をみて、学ぶ楽しさを改めて教えてもらったような日になりました。