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演劇に対する苦手意識
タイトルの通り。私は演劇に対する苦手意識が強い。どれくらい強いかというと、タモリさんのミュージカルに対する苦手意識と同程度である。
一言でいうと『演劇は意味がわからない』。これに尽きる。
私は映画鑑賞が趣味であるが、映画と演劇は似て非なるものと思う。『映画は私を拒絶しないが、演劇は自分を拒絶する』。そんな被害者意識すら持っている。
なぜ、こんなことになったのだろう。
私の演劇嫌い(この際嫌いと断言する)は何がきっかけだったか。過去を振り返ってみたところ、私の友人Tが出演していた演劇が、どれもこれも一様に意味不明だったことが原因ではないか?と思うに至った。
大学時代、私はTから演劇のチケットをよく買っていた。それらにTが出演するからだ。よくある話だが、出演者であるTはチケットを売りさばくノルマを負っており、その消化に協力したカタチである。
チケットを押し付けられたわけでは決してない。ある程度、私は自ら積極的に購入した。Tはチケット代をかなり割り引いてくれ、同じ大学生たる私が負担を感じるチケット価格でなかったのも、何度か購入するに至った理由だ。
私は同年代の若者が情熱を傾ける演劇に数回足を運んだ。そして毎回、首をひねりながら会場を後にした。
どう頑張っても、舞台の上で何が起こっていたのか到底わからぬ。舞台が終わった時、観客たちは出演者たちに惜しみない拍手を送っていたが、私にはいつ舞台が終わったかすらわかっていなかった。
この経験は私の演劇鑑賞に対する自信を失わせた。
映画館で映画を観て、こんな疎外感を覚えたことはない。レンタル屋で借りたビデオ、TVで観るバラエティ番組、それらも私を疎外しない。
演劇だけだ、何度も私を置いてきぼりにするのは。
何が私を疎外したのか、改めてその理由を深く考えてみたところ、Tが早稲田大学の第二文学部在席だったことが原因ではないか?と疑念を持った。
これは仮定の話になるが、私の演劇初体験がもし劇団四季だったら、あるいは宝塚歌劇団だったら…私は「全く意味がわからなかった」「置いてきぼりにされた」などと思わなかっただろう。
なぜなら劇団四季や宝塚歌劇団はプロの演劇集団であり、舞台慣れしていないお客さんを楽しませることにも配慮があると思うからだ。
第二文学部在席のTが所属する学内演劇部の作品が、私の初めての舞台鑑賞であり、全く意味を理解できず、その悲劇は二度、三度と繰り返された。
今思えば、なるほど置いてきぼりにされても仕方がなかった。(第二文学部出身の方には申し訳ない)
すべての癖が強すぎたのである。
たとえば和食を食べてみたいという外国人がいたとする。和食初体験であるなら、オーソドックスな寿司、天ぷら、すき焼きあたりを勧めるのが無難だろう。
それを初っ端から納豆やイカの塩辛、くさやを勧めたようなものである。それが私の演劇初体験である。
いきなりの珍味で腹を下した。二度も三度も。
Tの出演した舞台を否定するわけではない。それらは初心者向きでなかったという話だ。何にせよ、私は舞台が苦手だ。
あるアクティビティや趣味に興味を示す者、つまり初心者にはそれ用のレベル感があるよな、と改めて思った次第である。