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ヴェントランド✖️放射性廃棄物処分との闘いの歴史。

きのう、コロナ禍でしばらく会いづらくなって連絡も一年ほど途絶えていた友達から連絡がきました。
「あかねと出会ったヴェントランドでのデザインキャンプのこと考えてた。楽しかったねー!」と。

ドイツ北部に、Wendland / ヴェントランドという地域があります。
この辺り。画像はウィキペディアより。

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川があって、森があって、昔ながらのレンガ造りや木組みの建物がたくさんあって、とってもきれいな場所です。

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久しぶりに連絡をくれたこの友達とは、ここヴェントランドで行われた2週間のデザインキャンプで出会いました。
2014年。もう随分前のことですが、今日はこのデザインキャンプの背景について書こうと思います。

* * *

ドイツ国内で「ヴェントランド」という名前がよく聞かれるようになったのは、1970年代。政府がこの地域のGorleben / ゴアレーベンという町にある岩塩ドームを放射性廃棄物の地下保管所のひとつに決定したことからその闘いの歴史は始まります。
(岩塩ドームとは、岩塩が貫入して形成される円頂丘状の地質構造だそうです。岩塩丘とも。ウィキペディアより。)

政府は住民たちに「ここは中間保管所で、最終的な処分場ではない」と繰り返したようですが、住民たちはそれを信用できず、また中間保管所に定められることにももちろん反対し、1980年、黄色のクロスをシンボルに、自由共和国ヴェントランドを設立。この黄色のクロスは、ヴェントランドのあちこちにとても多く見られました。

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放射性廃棄物がいつどこのルートで運ばれくるかは事前に公にされず、デモを行う住民たちと政府側の戦略戦。住民たちは、あらゆる手段を使い搬送の日時とルートを予測し、座り込み。政府側も、事前に情報を漏らさず、夜中に搬送を決行。
このような闘いが繰り返されてきたようです。

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私はこのキャンプ以前にも大学のプロジェクトで5日間この地域に滞在したことがあるのですが、このときに保管所にも訪れる機会がありました。外部から見ただけですが、プロジェクトグループの中には訪問を断ったり保管所に近づくにつれ気分が悪くなったり頭痛が出てきたりするメンバーもいました。(私は鈍感なのか、特に何も感じませんでした。)

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案内してくれた人の話では、住民の中に、記者として政府側寄りの記事を書いたり、こっそり政府側に協力したりしている人がいることが発覚し、この問題によって、住民と政府の間だけではなく、住民の間にも亀裂が生じてしまうこともあったようです。

ヴェントランドには円形の集落が多く、その造りの影響もあり、村や地区のつながりがもともと強かったそうです。自転車でいくつかの集落を訪ねたのですが、どこもとっても素敵です。

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放射性廃棄物貯蔵の問題により、先述のように、立場によって亀裂が生じ、この地域を離れてしまった人も少なくないようです。しかし、ここに住み続ける人たちの間の絆は更に強まったのも事実。

放射性廃棄物の話題によってネガティブなイメージがついてしまったヴェントランドですが、そのイメージを払拭しようと、2006年から、更に新しい動きが始まっています。音楽祭や劇場、カルチャーパーティ、アーティストグループ、共同ワークスペース、など、様々やイベントや新しい取り組みに魅かれて、たくさんの人が集まってきています。フリーのアーティストやノマドワーカー、早期リタイヤした人など、移住者も少しずつ増えてきているようです。
交通面は少し不便ですが、自然に囲まれてとってもきれいなヴェントランド。田舎なので保守的な人も多いですが、オープンでフレンドリーな人にもたくさん出会えて、本当に過ごしやすいところでした。


2020年9月28日、ゴアレーベンの岩塩ドームは、地質学的に不適切であると特定されて、放射性廃棄物の保管所から除外されました。
2022年の脱原発まで、放射性廃棄物は増え続けます。ドイツ国内で90ヶ所の候補が上がっているようですが、この廃棄物の行き先は、他の多くの国と同様に、ドイツでもまだ決まってないようです。



地域活性化の一環として行われているデザインキャンプに関してはこちらに書いているので、興味のある方は読んで見てください。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!


参照:


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