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扉の向こうの隠れたおもちゃミュージアム

きのう友達とお買い物に向かっている途中、友達が、
「あ、フィリップおじさんここから近いから寄って行こう!」と。

「フィリップおじさん」???

着いてみるとそこは、おもちゃ屋さん!
いろんなおもちゃが所狭しと本当にたぁーっくさん!

うっわぁーーー!!

口をポカーンと開けて驚いている私に、
「今ひとりしか中にいないから、気にしないで入って入って〜」と優しく声をかけてくれたのが、フィリップおじさん。
(ベルリンは今もロックダウン中なので、小さいお店では面積によって一度に入れる人数が制限されています)

そう言いながら、何かを修理している様子。

ここ"Onkel Philipp/フィリップおじさん"は、おもちゃ屋さんでもあるけれど、GDR(旧東ドイツ)のおもちゃミュージアムでもあり、おもちゃ工房でもあるのです。

お店にあるおもちゃはもちろん、市場に出ているおもちゃを注文して買うこともできますし、遊ばなくなったおもちゃを売ったり寄付したりお店にあるおもちゃと交換したりすることもできます。壊れたおもちゃはフィリップおじさんが修理したり新しいおもちゃに作り直したり。

外見も店内もかなりごちゃごちゃしていますが、愛情たっぷりの本当に本当に温かい空間です。

お店に入ると、入り口のすぐそばの床に、ゴムでできたクモが。
友達が拾って棚の上に置こうとすると、「落ちたんじゃなくてそこがそのクモの居場所だから、そのままでいいよ〜」とフィリップおじさん。

あぁ〜、楽しい〜!


この棚の扉には、

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R.I.P.
Spielzeug
der
DDR
*1949
+1989
安らかに眠れ
ドイツ民主共和国 (旧東ドイツ)

おもちゃ
1949 - 1989

この扉が、GDRおもちゃミュージアムの入り口です!

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おもちゃ箱に入るかのように、かがんで螺旋階段を降りると、そこには更にたくさんのおもちゃたちが!

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入館料は、1ユーロ。
小さな人形劇とくるくる回るドールハウスを起動するためのリモコンを渡されて、下におります。

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階段の横の壁にもぎっしり。レトロなパッケージに胸が踊ります!

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車、車、車!!

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赤や青の帽子とコートのこの子は、1959年に東ドイツで誕生した、"Unser Sandmännchen/僕らのザントメンヒェン"。ヨーロッパに伝わる、眠気を誘う魔法の砂が入っている袋を担いでいる睡魔ザンドマンがモデルになっているそうです。「僕らのザントメンヒェン」はこどもたちが寝る前の時間にテレビで放送され、番組の最後に袋の中の砂を撒き、こどもたちが眠りに落ちる、というもの。こちらの動画の24:00あたりでそのシーンが見れます。


同じくベルリン在住の川園ザオリさんがこちらの記事で、赤のコートを着たザントメンヒェンと青のコートを着たザントメンヒェンがいる驚きの理由について書かれています。読んでびっくりして鳥肌が立ちました。
他にもGDRに関することを書かれているので、ぜひ読んでみてください。


決して広いとは言えない地下室のミュージアム。びっくりするくらいのカオスです。
木製、プラスチック、ブリキのおもちゃ、説明書きもなく、とにかくいろんなおもちゃが並んでいます。

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下の写真はおままごとセットですね。
左上の緑の髪の、頭と足の子がすごく気になります。

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お店やさんごっこ。

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こちらは学校の教室でしょうか。

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ブランコ、滑り台、シーソー!公園の遊具もありました。

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上の写真のように、レンガの隙間にもみんな上手に可愛らしく並んでいます。
左下の、青い帽子と青いスーツの彼は、世界最古の見本市、ドイツ東部の街にあるライプツィヒ・メッセのマスコット。顔は地球を表現しているそうです。ここでは手ぶらですが、普段はパイプをくわえ、アタッシュ・ケースを持った、世界規模の貿易を表すキャラクターです。

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こちらは、天井に飾られていた、DDRの旗。

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まだまだたくさん写真がありますが、とりあえずここまでにしておきます。

螺旋階段を上って地下のミュージアムからお店に戻ると、すっかり薄暗くなっていました。時間を忘れて長居してしまったようです。
お店は閉店し、片付けも全て終わらせていたフィリップおじさん。

「これ見てー!」
「ひゃー何これー!」
「かわいぃー!!」
ときゃーきゃー喜んでいる私たちを存分に楽しませてくれたフィリップおじさんと一緒に、閉店したお店の裏口から一緒に外に出ました。


ドイツ再統一から30年。GDRのおもちゃの人気はますます高まってきていて、eBayなどのオンラインショップでも高値で売られています。蚤の市でもよく見かけます。こども時代の思い出のおもちゃを自分のこどもや孫にプレゼントする人や、懐かしいおもちゃを集めるコレクターもいるようです。

ここで、GDRのおもちゃの歴史について少し。
GDRでおもちゃ生産が最も盛んだったのは、ザクセン州にあるSonneberg/ゾンネベルクという町。繁栄期にはGDRのおもちゃの40%がゾンネベルクで生産されていたそうです。町の公式のウェブサイトにも「おもちゃの町ゾンネベルク」と書かれています。この町のおもちゃミュージアムはこちら
第二次世界大戦後、GDRでは多くの民間企業でおもちゃの生産が続けられましたが、新たに設立された企業はほとんどありませんでした。 1950年代後半からは一部の事業は半公的に運営されていたそうです。ロシアの占領下で、兵器の製造の優先、自由開発の衰退、企業の国有化はおもちゃ業界にも大きな影響を与えました。
1960年、SED/ドイツ社会主義統一党(GDRの政党のひとつ)はおもちゃに関する文書の中で、GDRのおもちゃ業界は世界レベルにかなり遅れをとっていると述べています。 1950年代初期にレゴがプラスチックのブロックを作った10年後、東ドイツでもプラスチックブロックが作られるようになりました。
このおもちゃに関する文書というのは、当時のおもちゃ業界の詳細な分析結果が表記されたもの。おもちゃ自体の質や素材はもちろん、女性も十分な訓練を受ける必要がある、技術専門家が不足している、など、労働条件や資格に関する分析も。この文書の結果により、美術大学BurgGiebichensteinの工業デザイン学部に私が学んだ「遊びと学びのデザイン学科」ができました。
おもちゃに関する文書により労働条件も改善され、人形、ぬいぐるみ、木のおもちゃ、後にプラスチックのおもちゃに焦点を当て、半公的企業と民間企業が協力して1970年代までおもちゃの創造性と質を向上させていきました。
外貨を稼ぐため、当時GDRにとって輸出も非常に重要でした。国際的な取引は、先ほども少し触れたライプツィヒの見本市で集中的に行われていました。GDRのおもちゃは、BDR(旧西ドイツ)、フランス、イタリア、ベルギー、オランダなどに輸出されていたようです。GDRのおもちゃはこれらの国に人気でたくさん輸出されていたため、国内のニーズには残念ながら十分応えられていなかったようです。
その後、1980年以降は、市場志向による量産によって、おもちゃの質も創造性も衰退してしまったようです。
そうして、チューリンゲン州の森やエルツ山地で栄えた東ドイツのおもちゃ産業は、1989年の壁崩壊、1990年のドイツ再統一後、急速に衰退したそうです。1990年にはGDRで約3万人がおもちゃ業界で働いていたそうですが、1990年代半ばには数百人にまで減少したとか。

おもちゃの歴史を遡ることで、ドイツ産業の歴史を垣間見ることもできます。ドイツに30カ所以上もある大小様々なおもちゃミュージアムや熱心なコレクターたちは、おもちゃ自体だけではなく、こういった歴史を伝えていくことも大切にしているようです。


これまで、東京おもちゃ美術館ニュルンベルクのおもちゃミュージアムドレスデンの人形博物館ロンドンのV&Aこども博物館など、おもちゃが展示してあったりおもちゃで遊べるミュージアムを訪ねてきましたが、ここもまた全然違って、だいすきな場所のひとつになりました。


あ、これはGDRのものではないのでミュージアムではなくてお店で見つけたのですが、見てください、すっごくかわいい!!

最後に急いで撮ったのでピントがあっていませんが、手のひらサイズの長くつ下のピッピです。

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お猿のミスター・二ルソンも!

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とっても優しくておもしろいフィリップおじさん。
おもちゃ好きの人に本当にオススメの場所です!

GDRおもちゃミュージアム、写真を通じて少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。

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