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50日後に横断するアメリカ「20万の瞳」~2-2/50~

それは渡米する前年の12月のことだった。キャンピングカーの試乗をしに、私たち8人は新木場へと集められた。

「てか、日本でアメ車運転していいのかよ」
「外車走らせるのと同じようなもんでしょ」
「そっか」

「おい!」
「うわ、まじかwww」
「あれだよな、あれ運転すんのか!?」

駅から降り立つなり、私たちは爆笑した。見るからにあれだろうと言わんばかりの存在感だった。

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撮影場所はアメリカですが、乗ったものは
これです。今見てもデカすぎる……

想像を超える大きさのキャンピングカーだった。救急車、いや、消防車くらいはあるだろう。3ナンバーの車2台分ほどあろうかというくらいの幅、高さだ。奥行きにいたっては3台分くらいありそうだった。つまり、ちょっと大きめの車12台分くらいの大きさである。モヒトが部活で使っているハイエースにはよく乗っていたが、それをはるかに超える大きさであった。

「これ……運転すんのか……」

一同が面を喰らったところで、車からニコニコとした人が降りてきた。

「ああ、どうもー!寒いなかありがとうございます!」
「デカいですねえ」
「デカいですよ!」

担当のコビーさんは気さくに応じてくれた。私の記憶が正しければ母校のOBらしい。その影響があったのかどうかは定かではないが、コビーさんは旅の最初から最後まで親身に対応してくださった。まさに、このかた無しには私たちの旅は成功し得なかっただろう。

「えっと、今回は試乗ということなんですけれども、首都高をぐるーっと回って帰ってこようと思います。具体的には以前お話しした通りです。新木場の入口から首都高に乗って、箱崎、江戸橋、浜崎橋ときて、芝浦からレインボーブリッジを渡り、台場インターで降りて有明で解散となります」
「え、なに、なに橋?」
「あっ、あー、はい、なるほど、こういうルートね」
「全然わからん」

キャンピングカー以前に首都高すら走ったことのない私を含め、運転苦手勢はルートすらちんぷんかんぷんであった。とりあえず橋をいっぱい渡ることだけはわかった。その程度の把握力しかなかった。ルート把握と運転のサポートはコビーさんと運転得意勢に任せ、私はひたすら写真撮影と景観を眺めることに徹した。

私、ヨシ、ユウの三人が運転苦手で、ケン、ヤス、キリオ、モヒト、ノリは運転が得意であった。正直に言おう。私はアメリカ横断において運転をほとんどしていない。アメリカ横断したというと「すごーい」といわれることもあるが、称賛すべきは運転得意勢なのである。私が尽力したのはまた別の担当であるが、それについては追々話すことになろう。

「左ハンドルだけれど、右車線を走らないでね(笑)ここは日本だからさ。アメリカいったら思う存分、右を走ってね」
「右?左?あれちょっとわかんなくなってきた」
「やめてくれよ~!」

先行きが不安になりながら、モンスターカーはゆっくりと都内を進み始めた。日本とアメリカとの大きな違いは道幅である。アメリカは国土が大きいため、これほど大きい車でも難なく進める。だが、日本ではそうは行かないのだ。

「おいおい、右に寄ってるよ」
「すみません!うわあ、車両感覚わっかんねえ~!」
「この角度で曲がり切れるかな?」
「ゆっくり曲がれば……危ねえ~」

このように、普段運転に慣れている人でも圧倒されるほどの大きさである。

ちなみに、メンバー全員普通免許であり、中型・大型は所持していない。それでもなぜ観光バスほどに大きいキャンピングカーに乗れたのか。忘れがちなのだが、免許の区分というのは全長ではなく、総重量で決まる。普通免許では3.5t未満かつ10人以下の場合に乗車できる。つまり、総重量が3.5t未満であればどんなにバカでかい車両でも乗れるのだ。

さらに補足すると、私たちが利用したFS-31というタイプのキャンピングカーは2020年から最大乗車人数が7名が限度となり、8名での旅行はできないという。残念だが、再び同じメンバーで旅行することはできないらしい。

そんなこんなでようやく首都高に乗った私たちだったが、ひとり白い顔をした者がいた。

「ねえ、窓開けていい?気持ち悪い」

ユウが消えそうな声で言うのだった。

~続く~

参考:FS-31タイプの動画。やっぱりおかしいほどにデカい。動画冒頭でcrazyって言ってるぞ。もちろん、私もcrazyだと思う。


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