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2014年旅行記:ヤンゴン(ミャンマー)2日目後半

約10年前の民主化政権時代のミャンマー。
2日目後半の旅行記です。


1,ヤンゴンの街並み

ヤンゴンに行って不思議、というか「こういう感じ観たことがないな」と思ったのが、古びた建物群です。
なんというか、外の壁が黒ずんでいるんです。
泊ったゲストハウスもそういった建物の中にありましたし、周りもそんな感じ。

ゲストハウスがあった通り

イギリス植民地時代の古い建物が残っていて、活用されているそうです。
こういう雰囲気の場所に今まで来たことがなかったので、しかも、ここはミャンマーの第一都市であるヤンゴンなので、ちょっとびっくりしました。
ある意味目新しく、少しお化け屋敷のような感覚も覚えながら・・・。
先日、2024年ヤンゴン旅行記を出しているyoutuberさんの動画を観ましたが、10年経っても、この雰囲気は変わっていないようで懐かしかったです。

朝、僧侶が托鉢のため通りに
幼い僧侶たち

そして、僧侶の姿。
ゲストハウスをチェックアウトして、午前中に歩いていると、さまざまな場所で托鉢のために歩く僧侶に出会います。
今、写真を見返して思いますが、ミャンマーの僧侶はエンジの布をまとっていたのですね。
昨年、ラオスのルアンパバーンに行った際は、僧侶の布はオレンジでしたので、同じ上座部仏教でも相違があるんですね。

比較画像(↓)を見てみました。
10年の隔たりがあると言っても、ヤンゴンもルアンパバーンもその国を象徴する観光都市と言っても過言ではないですが、ヤンゴンの街並みのほうが古く感じる。
古いのが悪いわけではなく、その国の経済成長がどうか、その国の政治とは、というバロメーターのようです。キューバもこんな街並みなんだそうで、なかなか味わえない、貴重な雰囲気を味わえたのだと思っています。

【比較画像 ラオス、ルアンパバーン】

(比較)ラオス、ルアンパバーンの僧侶 2024
(比較)仏像も僧侶と同じオレンジ布
ラオス、ルアンパバーンの仏像 2024

ゲストハウスの通りを出ると、広範囲で朝市が。
写真を撮影するのを忘れていましたが、人が多く、活気がすごかった。
ミャンマーは停電があり、冷蔵庫があるほうが珍しいのだと思います。

商店街のような場所(↓)ですが、ヤンゴンはミャンマーで一番人口の多い都市ですが、都市っぽさ、緑深さのどちらもあるのがいいです。

また、強引な客引きはありません。
ラオスの人々の雰囲気に似ている気がします。
昔、ミャンマー語の先生に「ミャンマーでは『来世で良い人生が送れるよう、現世で功徳を積む』という上座部仏教の教育が根付いています。ですから、ミャンマー人は穏やかで奥ゆかしい人が多いです。日本人と似た部分があります」と教えてもらったことがあります。
確かに、朝市や商店街で、なんかこう大きい声でわーわー喋るという光景は少なく、活気はあれど、穏やかな様子でした。

あと、人種のるつぼというか、東南アジアっぽい感じ、インドっぽい感じ、中国っぽい感じ、色々な人々がいらっしゃるのも興味深いです。

商店街のような場所
ミャンマー語の看板が可愛い
center of cityですが、木が生い茂っている場所が多い
よく見たら「makita」と日本企業の看板。
どこかのお寺の入り口前のようです。

ヤンゴンの特徴的なところは、バイクの姿が見えないことです(↓)。
渋滞予防のために、禁止されます。
この写真をみると、「アジアの国」っぽくない。

車だけ見えることが変な感じ

それまで行ったことのあった台湾では、バイク人口が多くびっくりしたのを覚えています。「こんなにバイクが多い場所で運転できない!」と恐ろしさを感じました。
昨年行ったカンボジア、ラオスもバイク人口が多く、2車線が実質3車線になっていることも普通でしたし、家族で何人も乗っているのが普通でした。

【比較画像 シェムリアップ、ルアンパバーン】

(比較)カンボジア、シェムリアップ 2024
(比較)カンボジア、シェムリアップ 2024
(比較)ラオス、ルアンパバーン 2024

では、トゥクトゥクは・・・?

トゥクトゥクも、もちろんありません。
ただ、「サイカー(ဆိုက်ကား)」があります。
トゥクトゥクの自転車バージョンです。残念ながらヤンゴン滞在中、サイカーに乗らなかったので次は乗りたいな。

↑写真はとてもお気に入り。
緑がたくさん残るヤンゴンの景色と独特な文化がたくさん詰まっているからです。
女性のロンジー(タメイン)の花柄が好きなのと、男性がロンジー(パソー)を履いている姿もあるのと、タクシーが黄色なのと、サイカーがある。

ちなみに、ミャンマー第二都市のマンダレーでバイクは禁止されていないので、他のアジアの都市のようにバイクが見られるそうです。その景色もいつか見たい。

バスもたくさん走っていて、市民の重要な交通手段になっていることがわかる。
後ろのドア開いている雑感がたまらん
この写真もお気に入り。
タメインとパソーのロンジー姿のご夫婦。
仲睦まじい姿に・・・💛

街を歩くと、高確率で出会ったのが本屋さん(↑)古本や貸本もあったかもしれません。
ミャンマー語がたくさんで、絵がカラフルで、見ているだけでexcited!!
ミャンマーは検閲があり、政治犯がいないか見張られています。命のために、執筆の際にも表現の自由が乏しくなってしまう現状があるそうです。

キャノンやダイキンなど、日系企業の進出がわかります。

2,ミャンマー人女性と出会う

2日目朝からお寺やランチに出かけ、以上のようなヤンゴンの街並みを楽しむことができました。

ランチを食べたレストランから、私はタクシーに乗ってスイーツショップに向かうことにしました。
ミャンマー留学経験のあるAちゃんはスイーツ好きで、「ヤンゴンで今、一番熱いスイーツショップ!高級店だけど、ヤンゴンの他のスイーツショップより断然美味しいので行ってみて!」と教えてくれたためです。私も超甘党。Aちゃんのおススメ店に行って、ヤンゴンの最先端のスイーツを食べてみることに!

ここで、タクシーをつかまえましたが、すでに1人乗っておられて。
「相乗りでもいい?」と運転手さんに。若い女性で怪しくなさそうな方だったので、乗ることにしました。

この女性、私より少し年上のお姉さんで、ドバイの学校へ留学し、お寿司屋さんでアルバイトをしていたそう。英語はペラペラだし、日本語を少し話すことができました。この時はミャンマーに戻ってガイドの仕事をしているとのことで、気さくに話してくださいました。名刺もいただきました。

意気投合し、女性の目的地に一緒に行きました。彼女はフリーランスのガイドなので、旅行会社に何かしらの資料を提出しに寄ったそうです。
旅行会社があるビルは、日本にあるような近代的な雰囲気でした。

国際的な企業が入っているビル
日系企業の看板もちらほら見えました。
クーデーター後は撤退しているかも。

その後、ボージョーアウンサンマーケットに連れて行ってもらいましたが、残念ながら定休日。ここは有名な観光地でもあるため、きっといつか行きたいな…。
「アウンサン」はアウンサンスーチーさんのお父さんです。

3,スイーツショップへ行く 

そこで、当初の私の目的地だったスイーツショップへ一緒に行きました。
女性に「ここに行きたくて」と言うと、「普段は行けないお店です」とのことで、やはり高級店のようです(とはいっても日本円からしたら安いです)。

ရွှေပုစွန်(Shwe Pu Zun)は、日本語で「金のエビ🦐」という意味です。
なんというか、中華料理店のような名前です。今でもこのネーミングはずっと不思議です。

2人で頼んだスイーツ。

ピンクの飲み物は「ファルーダ(ဖာလူဒါ)」
氷、牛乳、アイスクリーム、ゼリー、サゴヤシのでんぷんなどを混ぜたミャンマーの代表的な飲み物。
当たり前ですが、めちゃくちゃ甘いです。暑い国なので砂糖で滋養強壮をするためでしょう。お供にチョコレートケーキを頼みましたので、とても甘かったです。
私は日本の味に慣れているので日本のケーキのほうが美味しいと感じますが、海外のスイーツは甘すぎたり、匂いが不思議だったりしますが、こちらのスイーツそれなりの味でした。上質な素材を使っている感じもしました。
店内は、たくさんのお客さん。流行っているのが分かります。確かに、身なりを見ると、中~上流階級の方多い印象で、観光客もそれなりにいらっしゃいます。
お店の中は、すごくきれいで、洗練されています。
Aちゃんが、「ぜひ行ってみて!」というのが分かる気がしました。
🦐の看板があったのですが、撮影しておけばよかった。

女性と記念撮影

2人でピースしていますね。懐かしい、いい写真です。
スイーツショップにて女性と楽しく会話をしました。もちろんこちらがお誘いしたことと、短時間でもガイドしていただいたので飲食代は私が。
女性は上下紫色のエンジー・ロンジーを着用されており、装飾も美しく、とても素敵でした。
妹さんとアパートで2人暮らしされていること、ミャンマーの様々なところをガイドしたこと、私が行ってみたいインレー湖の写真も見せていただきました。
ヤンゴンでは冷蔵庫が発達していないので、自炊というより屋台で食べたり、持ち帰りすることが多いという話が印象的でした。東南アジア諸国ではそういった文化が多いと思うので、「ミャンマーもそうなんだな~」とリンクしたのを覚えています。

旅行後、彼女とは連絡を取っていません。
今のようにインスタグラムやFacebookでつながれたら違ったのかもしれませんが、当時、私はSNSをしていなかったんですよね。
薄給で、長期休暇が取れなかった私。
「きっとまたミャンマーに行って、彼女にガイドを頼むんだ」と思って大事にとってある名刺。
そうしているうちに、コロナが来て、クーデーターが起こってしまった。
私は10年前ほど薄給ではなくなったし、長期休暇も取れるようになったのに、ミャンマーに行くことが難しい状況になってしまった。
「彼女の名刺の連絡先は今もつながるかな?」
「彼女は今もミャンマーにいるのかな?国外にいらっしゃるかもな…」
「いつか私がミャンマーに行ったとき、ガイドしてくださるかな?」
と、写真を見て思います。
なによりも、彼女と彼女の家族が安全であることを祈ります(身の安全を祈らなければならない国になってしまったことが悔しい)。

4,空港へ~ばいばい、ヤンゴン~

彼女とはスイーツショップでお別れ。
初めての海外一人旅でしたから、予期せぬ、素敵な出会いに感謝感謝でした。

私は旅のタイムリミットにて、空港に向かいました。
空港に向かうタクシーで、鼻がムズムズしたのでティッシュで拭うと、ティッシュがものすごく黒くなったのをよく覚えています(汚い話ですみません)。
昔よく「東京みたいな都会に行くと、鼻の穴が黒くなる」と聞いたことはありましたが、「これか!!」とヤンゴンで思ったのが印象的(;'∀')
ヤンゴンは木々が多く残っていましたが、当時、民主化政権で経済成長中。建設ラッシュで工事をしている様子も多くありました。また、道はある程度整っていますが、砂埃がすごかったです。だからか~
これもまた、いい思い出なんです(笑)

その後、ヤンゴン→ハノイ→関空という道のりで帰国。
トランジットのため、4時間以上ハノイにとどまるのですが、ヤンゴンのたくさんの思い出。脳が覚醒され、一人旅の興奮もあり、持ってきた小説には全然集中できませんでした。

ここまで振り返ると、約24時間しかヤンゴンにいることはできなかったのに、たくさんの場所に行くことができましたね。
海外初一人旅で不安だったけど、お友達Bちゃんに助けてもらい、予期せぬミャンマー人女性との出会いもあり、人に助けられ、人の縁を感じた一人旅でもありました。みんなに助けられ安全に旅を終えることができて感謝。

写真を見ていても、恋しいヤンゴン。
大きなお寺や小さなお寺を巡ってみたいな…。
ヤンゴン川を小舟で渡ってみたいな…。
いろんな食べ物を食べてみたいな…。
素敵なところがある、ミャンマー。観光しやすい場所になってほしい。平和を祈ります。

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