
「記事を書く前にこんな単純かつ超簡単な暗示で魅力たっぷり文章の質がガラリと変わるだと!」不思議だけど効果がある文章編集術
エンターテイメントを意識して情報を伝えると、従来なら興味なかった人々も次々やってきて、なんかすごい展開になっているんだが…
楽しみ・面白さを第一とし、衝動で面白い展開が訪れる情報の伝え方をした結果、次々と予想もしない出会いを実現できてしまった。
前々回こちらを書き、
前回こちらの記事を書いた。
この後が運命を大きく分ける。運命とは
面白さをさらに引きだすためのエンターテイメント意識
面白いか、そのままかを大きく分ける最大箇所はエンターテイメント意識だ。
エンターテイメントはただの情報を魅力いっぱい・ワクワクドキドキな不思議ちゃんへとかえてくれる、まさに魅力の魔法や。
人間、生まれたときから内側に苦しみが備わっている。隙あらば自分で自分の魅力を落とし、苦しみと悲しみと妬みに満ち溢れた生活を送ってしまう。
なんてこった…隙あらば「どこからか」心配事をする自分は、進んでバカになろうとしている表れでもあるんだな。 https://t.co/L1RqWWknR5
— せんけん (@megabi0) June 5, 2023
若い頃、僕の人生がメタメタになったとき、嫌と言うほど自分の醜さ、無力さ、自己否定をしまくっていた。
今でも隙あらば「俺はダメだな」つい言ってしまう。
何がダメなのか具体的な指摘もできないのに、ね。
楽しみや笑いなど明るいものは外にしかない。何も考えていないと内側(苦しみなど)に引き寄せられる。
エンターテイメント意識をもって、自分からぐいぐい外側に向かって(=内側に引っ張られる自分に逆らって)いくと、魅力を引き立てつつ、魅力のそぎ落とし表現にも気づける。
僕が落とす魅力そぎ落とし表現の一つは自嘲だ。「自分は自信がない」をほのかに出しているというか。
「エンターテイメント意識はわかった。要は言葉に気を遣い、自分で価値を落とす言動を回避できるってことね。
どうやったらエンターテイメント意識が身につくの?
何もないのに、今からやれと言われても……」
何もないが重要だ。
強引に笑顔を作り「いやあ、すごい。嬉しい」
自分の気を上げるのに、人様の音楽や作品を使ってもいいが、笑顔と言葉を使って無理やり盛り上げるのが一番効果ある。
エンターテイメントの基本は楽しさだ。思わず笑顔になってしまう楽しさであり、笑顔や楽しさは今この場で創れる。
笑えない出来事があっても、強引に笑顔を作る。
※あくまでも情報を伝えるときのみね。
「泣きたいよ、死にたいよ」ぼやきたくなる時でも
「私ってすごいわあ、楽しいわあ、この仕事。何てすてきなんだろう。何て面白いんだ」
強引に楽しくさせる。これだけで自分で自分の気をあげられる。
自分の気を上げるうえで「まじかよ」なった出来事があった。
これ、本当にびっくりしたからね。
後で笑ってしまった展開!憂き世が笑が世(えがよ)になった瞬間!
雨が激しく降っているときだった。色々あって気落ちしていた。気落ちすると、つい口から自分を呪う言葉が出てしまう。
他人をうらやんだり(逆恨み含む)、自分の現状にふがいなさを感じたり……とにかく次から次へと憂き言葉が脳から出てくるんだ。
口では言わないけど、つい言ってしまう時もある。
あなたはどうだろう?
とにかく気分が重たい。頭も痛い。ふとひらめいた。
「自分でやってる"エンターテイメント"を、今この場で強引にやってみたらどうだろう?」
実験だ! まず出した言葉は「すごい、すげえ」だった。
なにがすごくてすごいのか、僕にはわからない。
次に「いやあ、めちゃくちゃ面白いわ。なんでこんなに面白いんだろう。楽しくてたまらんよ」
何が面白くて楽しいのか。全くわからない。
僕の心と脳みそは「楽しい・すごい・面白い」など全く思っていない。
勝手に言葉を出してしまう。思ってなくていいから出してしまう。
次は笑顔を作った。一人で笑った。たまたま周りに誰もいなかった。周りから見れば、僕は不気味でしかない。
笑う出来事など全くないが、腹を抑えながらげらげら作り笑いをした。笑みを浮かべながら「いやあ、すごい」言った。
気分はラフターヨガだ。
数分経つと、だんだん気分がウキウキしてきた。雨も上がった(笑)。しかし頭の痛みはまだ収まらなかった。
何が面白くてどこがうれしくてどれが楽しいのかさっぱりわからないが、ウキウキになった結果、気落ちしなくなった。というより気落ちへ戻るのが難しくなった。
「すごい」にも勝手に理由が思いつくんだ。
「こんなお堅い記事でこんなに人が訪れているのがすごい」
「ゲームの知識もプログラミング技術もないのに、ドンドンゲームを作っているの、すごいじゃん」
斎藤一人さんの本に「脳は勝手に理由を探す」があった。
「ツイてる」言うと、脳が勝手に「●●だ。ついてる」理由を探してくれると。
例:お金を落とした、でも彼女ができた。だからついてる(お金を落としたうえ、お金と彼女できたが直接つながっているわけでもない)。
しかし脳は「お金を落としたのは痛いが、落としていなかったら彼女と出会うきっかけがなかった。
落としたからこそあれこれあって、彼女と初めて声をかけたのだ、と強引に話を作り「ついている」結論付ける。
ついてる根拠、楽しい根拠など全くない。反対にダメな根拠はいっぱい思いつくけど、客観でも主観でもない。時には理由も根拠も全くなく、勝手に口から出る。
と、ダメな根拠を通して次のミステリーが生じた。
失敗して「だめだ」言う時と言わないとき
他人から叱られたり、思う成果(物理)が出なかったら「ダメだ」つい言ってしまう(心の中含めて)。
一方で現在僕が作っているゲームにて、思い通りにいかないときは「ダメだ」含む、負の要素につながる単語が全く出てこない。
「これじゃあうまくいかないのね。じゃあ次はこれで試してみるわ」が出てくる。
思うに「ダメだ」が出るのと出ないの違いは、
自分以外の他人がかかわっている
すぐ結果が反映されない
何度も試せるか、一度しか試せないと思っているか
成果を二つ以上(あれもこれもそれも)求めているか
そこで
成果は一つあればいい、それ以上は奇跡やおまけ
他人は関係ない。自分が何をどう感じたか
少し形を変えれば、何度でも試せる
大失敗な結末だろうと、面白い気づきと成功がある
エンターテイメントはただ楽しさを作るだけでなく、普通ならどんよりする結果にもエンターテイメントの視点を導入し、
「楽しいアトラクションの一つだ」すぐ苦しみや悲しみに行きがちな捉え方・考え方を強引に書き換え、企画・仕事を「自分を成長させ、他人にも影響を与える遊び」として捉えなおす。
自分が楽しむだけでなく、楽しみからにじみあふれる面白さを、第三者(今ではあなた)と分かち合う。
分かち合った先に何があるかはわからない(言葉で表現しがたい・伝えにくい何かをお互い味わう)。
苦しみや悲しみ、妬みなど負の道ではない。
僕たちが目指すゴールは「負の道でない何かを味わう瞬間」にある。
負の自分をはねつけるエンターテイメントな生き方
前々回の問いに答える形で、ようやくここまで来た。
まさか長くなってしまうとは思わなかった。
省略した重要部分もある。たとえば本筋を利用して「初見かつある物事に関心ある読者が、深く印象に残る意外な情報」の伝え方とか……1記事だけでは足りなくなるので、まとめる内容を近日出したい。
エンターテイメント意識を持つと、今後の生き方が変わる。
「もっとこうでなければ、もっと収入が欲しい、もっと注目が欲しい、もっと、もっと……」
もっとほしいの悪魔に別れを告げ、自分から楽しさを生み出し創り出し、そして分かち合う生き方だ。
今まで以上に考えるうえ、足るを知ってしまうため、もっとの悪魔からすると物足りない生き方に見える(だから焦りや苛立ちも募りやすい)。
一方で楽しみを常に生み出し創り出すので「うきうきと自分の価値」を肯定し、楽しさを生み出し、全人類ではないが分かち合える。
これをやるからこそ、普通なら興味ないひとを「お、これは」心を揺さぶる何かを起こせる。そこから新しい出会いにつながっていく。
物足りない成果に嘆き、もっとあれもこれも手に入れる生き方を送りたいか、足るを知って楽しみを次々と生み出し、読者と分かち合う生き方、どちらかと言えばどちらがいいかなぁ~と思うか。
楽しいは自分で創れる。特に気が滅入っているとき、速攻で気のあげ方をやってみるといい。
頭と心は呆れとむなしさを感じるが、先に言葉を出せば、気づいたら心も体も「なんか知らんけど面白いわあ・楽しいわあ」に染まっている。
※いろいろ言った中で、気分が一番ウキウキする言葉は「うれしいわあ」だな。
脳と心の変わり具合をぜひ、目の当たりにしてほしい。
「今回の情報、ためになるわあ」
思ったら記事をメモ帳なりに記事を丸ごと貼り付けて、印刷して読んでいただくとありがたい(そのまま印刷でもいいが、メモ帳保存より印刷用紙を費やす)。
「未来のあなた」が「今のあなた」に伝えたい情報だから。
「どこがためになったのか」自問すると、あなただけにしか使えないテクニックや気づきを得ると、僕は確信している。
では次をお楽しみに。
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