「自分景気」を上げてしまうかもしれない一つの質問
知人のモブ犬さんが
「なあ、櫛田。自分景気って知ってるか?」
櫛田梅一郎の知人(SNSで知り合った人であり、友人でも何でもない)、ニックネーム「モブ犬」さんがDMで尋ねてきた。
「自分景気? 聞いたことないっすよ」
「いやね、最近数字の上では景気が上がっているように見えるじゃん」
「確かに日経平均株価が4万円こえたり、会社で賃金が上がった、金利もあがって、やっと金融が正常に動く、という話は聞きますね(特に新聞で)。うちのところは変わりませんが」
「それだよ。自分景気って。どんだけ社会のデータがあろうとも、自分がどう思うか。自分にとって景気が上がっているか、下がっているかって状況に答える言葉よ。たぶん、専門用語はあるんだが、今のところわからなくて。それで自分景気って使わせてもらうよ」
「モブ犬さん、それがどうしたんですか? 景気、自分のところは給与も前と変わってないし、払うもんは多くなるしで、景気がいいとは思いませんが」
「俺もだよ。自分はちょいとした依頼代行業をやってて、前よりは受注をとれるようになったし、報酬も上がったけど、どれだけ上がろうとも、自分の景気が良くなっているとは思えんのよな」
「そりゃ……僕には関係ないっすからね。モブ犬さんの状況」
「そうなんだけどな。ある日、自分に尋ねてみたんだよ」
今までの自分の「生き様」を手取り足取り知って、自分の「別な」将来を創れるなら、対価を払う?
話へ戻る前に、二つの重要語句を掘り下げたい。
自分の生き様とは
自分の生き様とは単に生きている状態を示すのでない。
ある仕事・企画・趣味に対して
何があって、やろうと身を入れたのか?
どんな気づきがあって、人に教えたくなるか?
現時点で過去の自分に伝えたいノウハウは?
自分と似た境遇にいる人へ送りたい情報とは?
自分の試行錯誤過程及び、他人に説明できる状態を示す。
自分の将来を「創る」
自分の将来を「変える」のでなく「創る」と書いた。
「変える」という言葉には「変えられない/変わらない」否定の言葉を含んでいるばかりか、すでに変わっているのに自覚がないを含む。
今、あなたはここを読んでいる。数分前のあなたとは別人だ。数分前のあなたは持っていなかった・気づいていなかった情報に触れてしまったのだから。
でも、すでに変わっている自分に気づいている……かい?
「何を言っているんだ?」ツッコミが入ると確信している。変わる状態は自覚がないまま、現在進行形で動いている。
「あ、変わった」
自覚できた時は戻れない状態までいってしまったときだ。
僕なんて昔に比べたら3DCGを作成できるレベルになったが、生活習慣や基本的な考え方など、
「自分の人生、今も昔もこのまんま。なーんにも変わってない」
変わっている部分を認めようとせず、むしろ拒んですらいる。
「変わりたい」願っている自分への虐待だ。
「変わる」には「変わって、嫌な展開が起きたら……」も含まれるため、前向きな気持ちと同時に、そのままでいたい気持ちも働く。
昔と比べて、嫌な展開にビビらなくなった自分ではあるが、それでも目先の恐怖に対し、いまだにびびってすごんでしまう自分もいる。
だから「創る」だ。創るにはびびる状態が出ても、止まる状態が出てこない。CG作製において、一歩間違えれば全部作業やり直しレベルの展開もあるけど、ビビッて止まる状態は一切ない。
人生を「変える」なると恐れが出て「止まる」がくる。
「創る」なると、恐れが出ても「突き進み、止まらない」。
失敗でも「変わる」だと「変われなかった、変わった結果、地獄を味わった」挑んた末の後悔が生じる。
「創る」だと「間違えた、やり直せばいい。次のを試せばいい」挑み切る覚悟が生じる。
二つの重要語句を伝えたうえで、改めて問う。
「試行錯誤した自分の生き様(数多くの情報・攻略・ノウハウなど)に対し、現在とは違う別な世界の生活を送れるとしたら、対価を払えるか?」
モブ犬は尋ねた。
「なかなか難しい問いですね」
櫛田はDMを送った。
「モブ犬さんの言ってることって、パラレルワールド(平行世界)の自分が、今の自分の生き方・考え方・ノウハウその他を知った。
結果、並行世界の自分は今の自分にお金など、対価を差し出すか? ですよね??」
「そうそう」
櫛田は手をググっと握り、
「じゃあ難しいですね。自分が持ってる技術とか考え方とか、行動とか、そんなに特別なものじゃないから」
「そこだよ、自分景気を落としてる犯人的思考は」
「犯人的思考、ですか」
難しいことを書くなあ……櫛田は思った。以下、モブ犬さんの書き込みを櫛田なりにまとめると……
人間は生活習慣の生き物だ。日々同じ行動を繰り返すと、一つ一つの思考や動作が「当たり前」になる。
当たり前と認識した瞬間から、それまでの行動に価値を抱かなくなる。「すでにできる」のだから。
例えば3DCGを創る前の自分(私です)は、いかにして作るかがわからなかったので、操作方法をはじめ、プロのモデリングノウハウなどに価値を持った。
創れる状態となった今でも、プロのノウハウには価値を感じる一方、基本操作にはあまり価値を抱かなくなった。
当たり前になって、感動も抱かなくなると、気が下がる。
ちょっとここで、捉え方を変えてみよう。
当たり前でなくなり、感動をすれば、気が上がるのでは?
景気には「気持ち」の気が入っている。いくら日経平均が4万円をこえたり、賃金上昇したり、金利が上がった、給与も上がったという、客観データがあろうとも……
気持ちが理由で「やっぱり不景気」判断してしまう。
客観データがどうであれ!
客観的な状況がどうであれ、自己判断によって決める景気を、自分景気と定義したい(専門用語があると思うが、僕にはわからない)。
自分景気は厄介だ。自分がこれまで培ってきた様々な技術・情報・思考他においても、
自分が「価値なし」認め、価値がなくなる。
なので対価を払う姿勢すら拒む。
※ここで「どの自分」が、これまでの技術や情報ほかにおいて『価値なし』下しているのか? 問いかけると、どんな自分(常に怒ってる、常に笑顔、常に悲しんでいる、常に喜んでいる……など)を主人格において生きているかが、わかる……かも。
今一度、自分が持っているノウハウなどを振り返り
「どうやったら、それができるのか?」
初めて接する人の立場で、自分に問いかけてみたらどう?
僕は自分に問いかけた結果
モノ作りって誰でもできる当たり前の行動だと思ったが、実は高度な技術や思考、そして「恥をかく覚悟」を伴ったうえで、初めてできる恐ろしい作業
気づかされた。
なので、現在「創造」に関する哲学を執筆してる。
自分で自分の生き様を、どれだけ軽視してたかわかったから。
当たり前を奇跡と受け取り、常に感動する生き方を創った結果、自分景気が上がるばかりか、様々な環境も変わるのか?
一つの人生実験としてこなしてみる。
「よくわからんが、自分景気を上げてみるの、面白そう」
思ったら、一緒に実験をやってみよう。
「……ってことを、櫛田もやってみてよ」
「やれと言われても、難しいよ」
「問いかけるだけなら、今でもできるじゃん」
梅田は自分に問いかけた……続く。
支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます