成果反映速度という新しい?概念
最近の僕は正直だ。
「ほら、これをやるぞ」と僕が僕の魂にけしかけても「やりたくない」思ったら、あの手この手で時間を伸ばそうと画策する。
一方で僕の魂が「これをやる」決めたものは「頼むから少し休もうぜ、ちょっと頭冷やそうぜ」僕が僕の魂に言っても、僕の魂は言うことを聞かず、少しでも先に進み、そのためのアイディアをひらめき、計画を練るなどを行う。
魂と脳はそれぞれ違う考え方を持っている。
魂は騒がない、焦らせない、言葉を出さない、普段はただ見守っている。僕たちが「これをやる」と決めて、魂にとっても「それいいね」と感じたとき、丹田周り(おへそあたり)が温かくなるのみだ。
一方で脳はうるさい、焦りやすい、僕たちが普段喋る言葉を使い、焦らせたり、強いらせたり、本質から話題をそらそうとしたり、現実を拒んだりと忙しい。
世間で例えると、脳は「うるさい少数派」であり、丹田は「静かな多数派」だ。
何かしらの事故に出会ったとき、脳みそは一気に鎮まる一方、丹田はググっと暖かくなる。事故にあうと、何かしらの責任をとらざるを得なくなる。責任を取りたくない脳は一気に逃げ去り、僕が自分の脳めがけていろいろ語っても、何ら反応しない。
なお僕の師匠は「魔」と定義している。
さて、現在の僕は制作中のゲームに対して、あれこれアイディアがひらめき、ほおっておいても「ぽん」と浮かび、すぐさま計画を練り、試行錯誤してプログラミングを行っていく。
一方普通に記事を書いたり、今後の自分の戦略を練るとき、頭が真っ白になり、気づいたらツイッターなど「どーでもいいこと」に時間を割いてしまう。
僕は正直な人間だ。ほおっておいてもやるときは体と頭が勝手に動くし、脳だって動きたくてたまらない。
一方記事を書くなど別の作業においては、あまり接したくないのか、少しでも気を抜けば別の遊びに焦点をあてられる。
※人から与えられた仕事は省く。
ほおっておいてもやりたくなるものと、別のものに焦点を向けさせられるもの、何が違うのだろうか。
早速違いを分けてみた。すると二つの言葉が浮かび上がった。
成果反映速度
周りへの対応
成果反映速度
例えばnoteで記事を更新すると、アクセス解析が反映されるまで1日かかる。
一方ゲームは更新すると数秒で反映される。
成果反映速度が速いほど「次何をすべきか」が見えてくる。
一方で遅いほど、反映が出るまでの間、待たなければならないため「次何をすべきか」が基本浮かばない。
最も最初から戦略を立てて、反応などを気にせず次の計画にいっているなら話は別だ。たいていの人は現実のデータに「まさかこんな数字が出るなんて」衝撃を受け、速度が遅くなるのではないか。
周りへの反応
ゲームの場合、現時点では第三者を気にしなくていい。デバッグなどまずは「自分自身」のみを気にすればいい。
記事を書くとなると「第三者:ここを読んでいるあなた」を気にしなくてはならない。
事実頭のおかしい発言や書き込みを行うと「何だこいつ、頭おかしいんじゃないの」など、周りそして自分を気にしなければならなくなる。
2つ以外もあるだろうが、現時点では浮かばぬ。
二つに気づいたとき「成果反映速度が速いものほど、次に進むアイディアもさっさと浮かぶ」気づかされた。
成果反映速度という言葉を頭に入れておくと、
「なぜ自分はそれをほおっておいてもやるのか」
「やりたいこと、世に残したいこと、人を救えるもの、人に楽しんでもらえるもの」
「次の展開」が見えてくるのかもしれない。