ひらめき(アイディア)が一切湧いていない時だからこそ浮かんだ「逆さの発想」
「何でアイディアが降りてこないのか」という時に読むと、発想がひっくり返るはず。何を書いているか、変なところも結構あるが、最後まで読んでくれるとありがたい。
先日から進めている街づくり企画。
町は現実にある街づくりでなく、あくまでも僕の「脳内」になる街づくりだ。
街づくりを通して、ブログやnote、ツイッター他へ当てはめていく。するとどういう姿に化けるか?
自分でも予想がつかないからこそ、今後の生き方に大きく影響を与えると確信している。
街づくりにおいてイベントが大切。町もお祭りなどイベントがあるからこそ、イベント目当てで人が集まる。場合によっては遠くから訪れる。
訪れた人たちが出店などで商品を買って、一部が税金として取られていく。税金を町の収入源にし、社会保障など費用へとかえていく。
だからこそどんなイベントを開こうか?
あれこれ考えているのだけど……全く浮かばない。
何でアイディアが降りてこないんだ―
一人むなしく叫ぶものの、シーンと静まり返る仕事場。
「なぜ神様はひらめきをお与えにならないのか」
昨日、神社に行き参拝した……今日になっても、何ひとつひらめきが降りなかった。なんで降りてこないのか……ふと、考えを反対にしてみた。
アイディアが降りてこないのって、自分が現在手放そうとしている生き方「指示待ち人間」になっているからではないか?
指示待ちとは「誰かの指示」がないと、何も動けない状態を示す。誰かは具体的に人はもちろん、自分自身の心から生じる言葉も示す。
そして今回、指示待ちの「誰か」に「神様」を入れた。
神様こと「ひらめき」を入れた。
何かしらのひらめきが降りてくる→これはいいアイディアだ、早速やろう
「神様から指示がないと、何もできない状態」を示しているのでないか=神様からの指示がないと、何もできない(できるのは普段のルーチンワークのみ)のでないか。
自分が今、手放そうとしている生き方を、再び引き寄せようとしているのか。
気づいたとき、次の考えが浮かんだ。
神様からのひらめきを待つ(もらう・ねだる)のでなく、神様にアイディア(ひらめき)を与えればいいのでは?
神様からアイディア(ひらめき)をいただくのでなく、むしろこっちから神様にアイディア、ひらめきを与えるというべきか。
神様に助けてもらうのでなく、むしろ僕が神様を助ける生き方だ。
すると指示待ち状態で焦っている意識が消えた。
こっちから適当な企画を創り、披露していけばいいのだから。
数日続く「もやもやしていた気持ち」も取れた。
「自分が主体となって、あれこれ企画を提案していく」
今まで僕は師匠から「人生は自分"が"ではない。自分"を"通して生きるだ。神様がお前を遣う。お前は神様(ここでいう神様は先祖様とか指導霊とか)に使っていただく」
だからこそ、自分は神様からの指示を待つ人間になっていた。
買い手と売り手の関係から「選ぶ自由」に気づき、選ぶ自由に沿って、すべての物事を「自分で主体的に選ぶ」生き方を送ったところ、自覚して生きるようになった。
だからこそ現在「ひらめき」が降りてこなくなったのでないか。
ひらめきはあくまでも「神様が僕に指示を出す」生き方であり、主体性のない時には必要だ。
裏を返すと指示がないと何もできない。ある意味神様に依存している状態だ。
神様に指示を与える生き方を通し、神様から自立する生き方となった。この状態、何に例えたらいいのか……
芸人がお客様から「笑えるアイディアを教えてくださいよ」言っている状態から、芸人がネタを思い付き、お客様に披露している状態だ。
こっちから次々アイディアを与える生き方となると、神様にひたすら喜んでもらい、楽しんでもらう生き方へと変わる。今はわからなくても1年後、早くて3か月後、どういう人生になっているか、予想はつかない。
今回の話、とてもへんてこな内容だと思う。言っている内容、あなたに伝わっているだろうか?
へんてこでも読んでくれたの、本当にありがたい。
支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます