見出し画像

徳を積んだら発信した方がいい

「徳を積む」という言葉がある。
平たく言うと「善行を積み重ねること」らしい。

で、善行って何?と思って調べると、掃除をする、電車で席を譲る、みたいな善い行い全般を指すらしい。
「いいことをする」という解釈で良さよそうだ。

中でも、人が見ているところでやるのは「陽徳」で、人が見ていないところでやるのは「陰徳」と言うらしい。
陰徳というのは、「見返りを求めず、自分が善いと思うことをやりましょう」ということ。
「陰徳あれば陽報あり」という言葉もあり、「人に知られぬ善行を積んだ者には、かならず表に現れたよい報いが訪れる」という意味らしい。

見返りを求めないと言いつつ、結局良い結果を期待するんかい!と思ったが、ポジティブな意味での因果応報を指すのかなと。

まあ、あからさまに見返りを期待して親切をするのはいかがなものかと思わなくもない。
荷物を持つからお礼をしてくれとか、会社のトイレ掃除をしたからほめてくれとか、そんな話を持ちかけたら、善行ではなくて取引だ。

ありがたいことだけど、堂々と見返りを要求されたらちょっと白ける。人間って難しい。
見返りを求めず、とはいえコソコソとやるわけでもなく、サラッと当たり前のように善行を積むのがカッコいいということになる。

でも、それは、とても素晴らしいことだと思うが、そういうことができる人は少ない気がする。
あからさまに見返りを求めるまではいかないとしても、「こんなことやりました」アピールはしてみてもバチは当たらないだろうし、やっぱり他の人に言いたい!
別に、「すごいね!」って言われたいわけではないし、もちろんお礼が欲しいわけでもない。
でもやっぱり、ちょっとは賞賛されたいとか、そういった理由な気がする。

そういえば、有名人が被災地に寄付したり、大企業が社会貢献事業をやったりする。そういったことは自ら発信しているケースも多い。
これらは善行だけど、公表しているわけだから陰徳ではない。

有名人の場合はすごいと思われたくて公表している可能性もあるし、企業の場合はCSRの一環でやっていて、お金の動きは株主に伝える必要があるとかいう理由で公表しているかもしれない。
でも、個人が身銭を切る行為、企業が利益を減らす行為は簡単ではない。
それに、自己顕示欲を満たすためだろうと、義務感に駆られたからだろうと、善行は善行だ。
それを見て、自分も何かしようと思う人が追随するかもしれないし、善行を受けた側にとっては理由は何であれ、ありがたいことに違いない。

陰徳であろうと陽徳であろうと、徳を積む行為であれば素晴らしいことだし、陽報を受けても良いのではないだろうか。

自慢じゃないが、自分も善行は積んできた。
そのときにお礼を言うように要求してはいないし、期待していたわけではないが、お礼の言葉が無ければモヤッとしたと思う。
それは、自分が相手の立場だったらお礼を言うに違いないから。
そのぐらいは自然の流れであってもいいんじゃないだろうか。
そのぐらいはこっそり期待していてもいいんじゃないだろうか。

皆が「こんなことやったよ!」と言い、それに対して他の人が「すごい!」「ありがとう!」「自分もやろう!」と言い合えばいい。
いつの日か受けられるかもしれない陽報を待たなくても、善行が当たり前の世界になれば、それはハッピーなことだと思う。
善行を積んでいる人は発信していこう。善行を受けた人はお礼を言おう。その話を聞いた人は賞賛しよう。

いいなと思ったら応援しよう!

MEGAウニちゃん
よろしければ応援お願いします!