見出し画像

葛藤 〜自己表現と世間体〜

グループ展

グループ展に知り合いが来てくれないことへの落胆。どうして誰も見てくれないのか、どうして反応がないのか。心のどこかで期待していた自分がいる。

「在廊してます」と言えない。「そう書いたところで誰も来ない」と思ってしまうし、もし本当に誰も来なかったら、その事実に傷つくのが怖い。だから言えない。そんな宣伝不足で人が来るわけもない。元々認知度も全然ないのに。友達も知り合いもフォロワー数も全然いないのに...。

周りの先生方は来客の対応で忙しそうにしていた。羨ましい。でもそれは当たり前で、今までの実力、キャリアや人脈があるからそりゃそうだ。みんなが和気あいあいとしている様子を遠くから眺めるしかない自分が、場違いでその中で、ひとりぼーっと立っていると想像しただけでもあの場所に立っているのが辛いからと思い在廊はしてない。

作りたいのに作れないもどかしさ

作りたい世界観ははっきりあるのに、技術が追いつかない。すぐにできるものじゃないとわかっているけど、もどかしいし悔しい。

MVの文字が自由自在に動く動画に感動して、ただカラオケのように歌詞の文字が単調に流れるのではなく、大きさや動きがつくことで文字もアートのような表現が追加される。文字の意味が強調される。さらに音楽とイラストが絶妙にマッチしてるあの感じがたまらなく好きで、自分でも作りたいって思っている。文字素材はアートの一部だと思う。今までは抽象画だけで表現しようと思っていたけど、文字も追加することで感情を表現しやすいのかもしれないと思い始めている。

「この年齢で動画編集を始めた自分ってどうなんだろう」と思ってしまう。世間的には動画なんてただの趣味娯楽。若者がTikTokでバズりたいから作ったり、ビジネスやってる人が集客用に使ってる。なのに私が動画作るのはなんの意味があるのか。集客宣伝のためでもない。ただ自分の感情を表現するために動画というツールをアートとして使いたいだけなのに。

「もっと効率的に、大人らしく、お金になることをすればいいのに」と、もうひとりの自分が言う。でも、それができない。感情を表現したい。自分を出したい。わかってほしい。自分の世界観を認められたい。

承認欲求と自己否定

でも一方で、承認欲求を出すことはよくない。目立ってはいけない。烏滸がましい。自己中心的な考えだ。実力も経験もないのに、何をやっているんだろう。もっと今集中しなきゃいけないことが別にあるのに。世間の価値観と自分の気持ちの間で揺れている。

私の気質的に感情を何よりも大事にするし優先する。私が1番大事。私がどう感じるか、相手が嫌な思いをしないかどうかが大事。私の心が動いたか、感覚で感じ取ったこと、言葉や理論では表現できない感情で私は動ける。

現実的に事実だけをとらえ、計画的に思考するのが苦手。客観的に現象を捉えられない。それが必要な時ももちろんあるし、それが大人っていうものだとは思うけど、でもそれが全てではない。

自分の世界観と世間体

上手くできない自分(現実)。やりたいことを諦められない自分(理想)。世間体。周りに合わせなきゃ。そんなことをしなくてもいい。世間体に合わせるけど本当はやりたくない。唯一無二でいたいと言いながら、実力も経験もまだ足りないと感じる。感情と思考と行動のバランスが取れない。

いいなと思ったら応援しよう!