ひたすら王のために愛と努力を捧げた ポンパドゥール夫人
12月29日は、フランス、ルイ15世の公妾、ポンパドゥール夫人ことポンパドゥール侯爵夫人ジャンヌ=アントワネット・ポワソンが生まれた日。(1721年12月29日 - 1764年4月15日)
『ロココの華』と謳われ、ロココ文化をサポートする一方、政治手腕もあり、外交交渉も行い、あのオーストリアのマリー・アントワネットと皇太子ルイ(後のルイ16世)の政略結婚も取り付け、両国の同盟にも尽力。歴史に残る公妾であった。
ポンパドゥール夫人は、それまでのルイ15世の寵姫たちとは違い、王妃に対しても敬意を払い、修道院で育てられていたルイ15世の子供たちをベルサイユ宮殿に住まわせるようにして、国王御一家をブルジョア階級のように親子仲良くさせるよう取り計らった。
ポンパドゥール夫人は王妃の女官長にもなって、信仰深い王妃とともに教会へも行った。
さらに飽き性で移り気な国王を、つなぎ止めるために、貴族たちを集めて、自分を主役にした劇団をはじめた。プロの一流ダンサーや俳優、劇作家を招いてレッスンをしたり、発声や体力作りから徹底的に行って、練習も本格的に行い、観客である王や周辺の貴族を喜ばせる。それを5年間続けた。
それもこれも、子供の頃から憧れていたルイ15世の側にいたい、役に立ちたい一心だったよう。
ポンパドゥール夫人は、身体が弱かったため、43歳で亡くなるがその際、ルイ15世は「これが20年愛した女性に余が出来る唯一のこと」と、ポンパドゥール夫人の葬列を涙を流して見送った。
彼女はブルジョア階級でも貴族でもない平民出身者だったが、貴族の子女以上に教養を身に付けていた。彼女の死後、その蔵書の目録は3525冊。
その一生は、ひたすら王のために愛と努力を捧げた生涯だった。
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