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フランス一美しいと謳われたアール・ヌーヴォーの『かぐや姫』 〜クレオ・ド・メロード〜

9月27日は、フランスのバレエダンサー、クレオ・ド・メロードが生まれた日。(Cléo de Mérode, 1875年9月27日 - 1966年10月17日)

アール・ヌーヴォーの時代にフランス一の美女と謳われた。

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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本名をクレオパトラ=ディアーヌ・ド・メロード(Cléopâtre-Diane de Mérode)といい、パリ5区で生まれた。

自伝では、父は、オーストリアの貴族の末裔であった風景画家、カール・フォン・メロード(Karl Freiherr von Merode、1853年 - 1909年)と、母親のヴァンサンティア・ド・メロードの間に生まれたという。

クレオは7歳のときにパリ・オペラ座バレエ学校に入学してバレエを学び、翌年から、オペラの舞台に数多く出演するようになった。

クレオについては、その美貌が幼いころから有名だった。エドガー・ドガは絵を描き、写真家ポール・ナダールなどがモデルに起用した。

クレオのポストカードは、世界中に出回り、額中央で左右に分ける髪型は、当時のパリジェンヌたちの間に瞬く間に広がり、今でいうアイドル的な立ち位置だった。

1896年、「フランス最高の美女」を選ぶコンクールでは、7000人がこの投票に参加し、当時21歳のクレオはこのコンクールで優勝し、さらに美女としての評判を上げた。

名声と同時に、クレオには、彫刻家のアレクサンドル・ファルギエール(Alexandre Falguière)彼女の意図しない全裸の彫刻や、好きでもない61歳のベルギー王レオポルド2世からの熱烈なラブコールなどによるスキャンダルに悩まされた。

クレオは非常に身持ちが固く、生涯結婚はしなかった。

ひたすら芸事に励み、59歳まで現役ダンサーとして活動。

パリの自宅で死去。享年91歳。穏やかな晩年だったという。

今でも彼女の美しいポストカードは、販売され続けています。


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