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文学の歴史を変えた一作『クレーヴの奥方』ラ・ファイエット伯爵夫人
3月18日は、フランス初の女流作家、ラ・ファイエット伯爵夫人こと、マリー=マドレーヌ・ピオシュ・ド・ラ・ヴェルニュが生まれた日。(1634年3月18日 - 1693年5月25日)代表作は、『クレーヴの奥方』。
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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
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【生い立ち】
フランスのパリに生まれる。父は宮廷の技術官、母は宮廷医官の娘で公爵夫人の侍女。若くしてギリシャ語、ラテン語、イタリア語、古典文学を学ぶ。少女時代からルイ14世の母アンヌ・ドートリッシュに仕え、サロンの花形となった。21歳のときラファイエット伯爵と結婚する。オーヴェルニュの領地に暮らすが、1660年ごろには夫婦仲は疎遠になっていた。
【王女との友情】
シャイヨのサント・マリー修道院にいる2人の妹たちをたびたび訪ねるうちに、清教徒革命で亡命中のイングランドを追われたチャールズ1世の未亡人であったヘンリエッタ・マリアと末娘の王女ヘンリエッタ・アンの知遇を得た。特に10歳年下のヘンリエッタ・アンと深い友情で結ばれ、その友情は生涯変わらなかった。
ヘンリエッタ・アンは、潰瘍による重い腹膜炎を持っていた。サン=クルーの館で発作を起こし、ラファイエット夫人に抱かれたまま、天国へと旅立った。
【フランス初の女流小説家として】
最初の作品『モンパンシエ侯爵夫人』が好評で、その後『ザイード』、『クレーヴの奥方』、『タンド公爵夫人』、『アンリエット・ダングルテールの記録』を発表。
古典の名作と謳われ、日本の戦後文学にも大きな影響を与えた。
特に『クレーヴの奥方』は、ヘンリエッタ・アンの義理の兄、ルイ14世とヘンリエッタ・アンのプラトニック恋愛を擁護するために、小説を刊行した。
【小説の歴史を変えた『クレーヴの奥方』】
『クレーヴの奥方』が小説の歴史を変えたのは、何よりも、現実的なプロットとキャラクター、恋愛心理を分析した近代小説と言われ、文学史の大きなターニング・ポイントとなった。
それまで、広くロマン(小説)と呼ばれていたものは、主人公が困難に打ち勝って幸せな結婚をするという信じがたい話で、しかも、本筋とは関係ないサブプロットが無数にあり、長さも10巻 - 12巻もあるものだった。
【現代での映画化】
1961年、ジャン・コクトーが脚色した「クレーヴの奥方 (La Princesse de Clèves)」
1999年に「クレーヴの奥方 (La Lettre)」:監督マノエル・デ・オリヴェイラ
2000年、ソフィー・マルソーが主人公を演じた「女写真家ソフィー (La Fidélité)」:監督アンジェイ・ズラウスキー
2008年、「美しいひと (La Belle Personne)」:監督クリストフ・オノレ
特に「女写真家ソフィー (La Fidélité)」は、たくさんの受賞をしています。
カブール国際ロマンチック映画祭
最優秀女優賞:ソフィー・マルソー
金の白鳥賞:アンジェイ・ズラウスキー
国際ステディカム賞
最優秀ステディカム撮影賞動画部門:Adam Rózanski
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