深海に輝く魂ージャック・マイヨールー
4月1日は、フランスのフリーダイバー、ジャック・マイヨールが生まれた日。(1927年4月1日- 2001年12月22日)88年公開された映画『グラン・ブルー』のモデル。イルカと女性を愛した。
マイヨールの潜水記録は、55歳にて105メートルを出している(当時の世界新記録)
【生い立ち】
上海はフランス租界の生まれ。父は建築技師、母はピアニストだった。通っていた上海租界の国際学校は、男女共学で幼稚園からバイリンガル教育であり、フランス人が多いものの中国人や革命を逃れたロシア人などもいて国際色豊かだったという。また夏は日本の唐津で過ごし、母に素潜り(閉息潜水)の手ほどきをうけた。
【1度目の結婚】
1948年に兄ピエールと共に北極旅行に行った帰り、北欧で知り合ったデンマーク女性と結婚。女児、後に男児をもうける。 カナダに移住後、フロリダへ移住。63年に離婚。
【イルカから所作を学ぶ】
農園主、新聞記者と職も国も転々とした後、30歳のとき米国の水族館で雌イルカ「クラウン」と出会う。調教師になり、クラウンから水中での所作を学ぶ。これが転機となり、彼は海の深みをめざすようになる。ヨガを習得し、記録を激しく競い合い、自らの肉体を使って人間の水生能力を追究した。
【潜水の世界記録】
59年、フロリダから、ケイコス諸島に移住。その頃から潜水に打ち込むようになる。
61年、ケイコス諸島からカリフォルニアに移る。
66年にエンゾ・マイオルカの持つ記録を破る60m35を出したのを機に世界記録を更新するようになる。 最高は、55歳で叩き出した105m。
【最愛の恋人の死】
70年代初め、マイヨールは若く美しいドイツ女性ゲルダを恋人にして暮らしていたが、ある晩、ふたりは近所のスーパーに立ち寄る。ゲルダが買い物をする間、マイヨールは車で待っていた。店で錯乱状態の男が銃を乱射し、ゲルダはその犠牲になった。最愛の人が突然、永遠に姿を消した。
このショックを彼は終生引きずったと兄は述べている。
「晩年の彼は、寂しさから女性を求めているところがあった」と、長年の友人であった成田均は言う。マイヨールに恋人のいない時期はほとんどなかったが、「二股は絶対にしなかった。女性を心から尊敬していたから」。女性は体の中に海(子宮)を持っている――と。
そんなマイヨールがあるとき、当時の恋人を何げなく「ゲルダ!」と呼んでケンカになる場面に、成田は遭遇した。「結局、最後はゲルダに帰っていったのかなあって思うんだ」
イタリア、エルバ島でマイヨールは自死。享年74歳。
「人生には愛する人がいなきゃいけない。妻でも恋人でもいい。帰る場所、『ホーム』が必要なんだ」
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