日本の女子教育の第一人者、津田 梅子
12月31日は、津田塾大学を創設し、日本の女子教育の第一人者、津田 梅子が生まれた日。(1864年12月31日- 1929年8月16日)
父は幕臣で農学者となった津田仙。1871年開拓使が募集した女子留学生の一人として、岩倉遣外使節団とともに満6歳で渡米。出発前、士族の女子としては歴史上初めて皇后への拝謁を許され、「勉強に励み、帰ったら日本女性の規範になりなさい」と諭された。
初等・中等教育を受け、15年帰国。
25年に帰国後は華族女学校教授に復帰、のち女子高等師範学校教授を兼任。33年に辞職し、女子英学塾(後の津田塾大学)を創立して、英語教育や個性を尊重する教育に努め、女子高等教育の先駆者となった。
梅子は、2回めの渡米の際に、リンマー=カレッジの生物学選科生となり、研究成果は、指導教官であるトーマス・ハント・モーガン博士(ノーベル生理学・医学賞受賞)により、博士と梅子の2名を共同執筆者とする論文「蛙の卵の定位」は高く評価され、1894年にイギリスの学術雑誌 Quarterly Journal of Microscopic Science, に掲載された。梅子は、欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性でもある。
女性の自立には、専門的な知識が欠かせないと常に考えていた梅子。
”何かを始めることはやさしいが、それを継続することは難しい。成功させることはなお難しい。”
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