植物学の女性パイオニアー保井コノの功績と挑戦ー
2月16日は、日本の植物学者・細胞学者、保井 コノが生まれた日。(1880年2月16日- 1971年3月24日)香川県生まれ。
日本初の女性博士号取得者。植物細胞学・遺伝学を研究、理系女性の国費留学に突破口を開くなど、日本の女性科学者の地位を確立したパイオニア。 1
955年紫綬褒章、1965年勲三等宝冠章受章、従三位追贈 男女差別の著しい時代に、女性科学者として、女性であるという偏見にさらされながらも、日本初のという形容詞が付く先駆者の道を歩み、女性科学者の道を拓いた。
保井の学位取得をきっかけに、他の分野でも女性博士が出るようになる。
香川師範学校女子部から女子高等師範学校理科に進み、卒業して女学校教師を3年間勤め、女高師に研究科の「官費研究生」制度が設置されると、その理科の定員1名に選ばれ、動植物学を専攻。 34歳で渡米し、シカゴ大学で細胞学、ハーバード大学で石炭学を研究。
帰国後は女子高等師範学校教授を務めつつ、東京帝国大学の嘱託として研究を続ける。 47歳の1927年に石炭の研究で、東京帝国大学から日本人女性初の博士号(理学博士)を取得。
1929年から、細胞学専門誌『Cytologia』の創刊に携わり、晩年まで制作を続けた。 1949年の東京女子高等師範学校からお茶の水女子大学への転換に尽力。
1953年には、お茶の水女子大学に自然科学の研究を奨励することを目的とする「保井・黒田奨学基金」が設けられた。
私生活は、20歳年下の妹マサが家事を引き受けていたため、仕事に専念できたそう。
バス停で倒れ、寝たきりになっても1971年に91歳で亡くなるまで、病床の枕元には英字新聞と最新の学術雑誌が置かれ、黒くなるまで読み込まれていたという。
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