狂王となった国王を支え、自然と芸術ををこよなく愛した王妃
5月19日は、イギリス国王ジョージ3世の王妃、ソフィア・シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツが生まれた日。(1744年5月19日 - 1818年11月17日)
【生い立ち】
現在のドイツ北部、メクレンブルク=シュトレーリッツ出身。
父はメクレンブルク=シュトレーリッツ公子カール・ルートヴィヒ、母はエリーザベト・アルベルティーネ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン。
【結婚】
時のイギリス国王はジョージ3世。ジョージ3世の祖先は、ドイツの1貴族であったハノーヴァー家で風変りな一族としても有名で、親子関係やスキャンダルが多い一族でもあった。ジョージ三世は、自身の妃選びを信頼していたグレイム大佐に任せ、連れてきたのが、シャーロットだった。
有力ではない貴族出身なので権力闘争の経験も興味もないだろうということで選ばれた。最初の対面は、結婚式。ジョージ3世がシャーロット王妃に最初にかけた言葉は、「(王室を)引っ掻き回すなよ」だった。
こうした経緯を経ると、通常夫婦仲はあまりよろしくなくなるが、シャーロットは違った。すぐに意気投合した二人は、夫婦でありながらも生涯の親友同士となり、子宝にも恵まれ、9男6女の15人の子供をもうけた。
【自然をこよなく愛す】
二人は、宮殿に併設された庭園をこよなく愛し、この時代、その規模は飛躍的に広がり、当時ヨーロッパを席巻していた啓蒙思想などを背景に、研究機関としての整備も進んだ。
ジョージ三世は、王という立場にかかわらず農民たちに気さくに話しかける人柄で、農業を擁護する王は「ファーマー・ジョージ(農民ジョージ)」と呼ばれ、人気が高かった。
【芸事に長けた才女】
シャーロットは、バッハの息子ヨハン・クリスティアン・バッハから音楽を習ったり、モーツァルトを招いて演奏会を催すなど、芸術を積極的に支援。英国における自然科学や植物画の発展に寄与。芸事に長けた才女でありながら、いつも控え目で、出過ぎた真似は一切しない女性だったそう。
【狂王】
愛人は作らず、円満にみえたが、王には、遺伝性の病気があり、26歳で発症。その症状は、50歳を超えていよいよ重くなり、幻覚、不眠、吐き気、頭痛に悩まされ、鬱状態に陥り、果ては狂い出してしまい、その様子が余りにも酷かったこともあって、ジョージ3世は狂王とも呼ばれるように。
それでも、シャーロットは王を死ぬまで支え続け、1818年11月17日に死去。享年74歳。
後を追うように、その一年後、ジョージ三世も亡くなった。
二人が愛した庭園は、英国王立植物園「キューガーデン」。世界最大級の植物園となりユネスコ世界遺産に登録されている。
【マリー・アントワネットとの友情】
シャーロットは、フランスのマリー・アントワネットとも仲がよかったそう。実際に、顔を合わせたことはなかったものの、手紙を通じて交流し、1789年のフランス革命の際には、不安を打ち明けたマリー・アントワネットに対して、イギリスに亡命用の家を用意し一家を受入れる準備もしており、マリー・アントワネットの処刑に際しては、大変悲しんだと言われている。
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