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シャネルが生涯でただ1人嫉妬したデザイナー 〜エルザ・スキャパレリ〜

9月10日は、イタリアのファッションデザイナー、エルザ・スキャパレッリ(Elsa Schiaparelli, 1890年9月10日 - 1973年11月13日)が生まれた日。

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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スキャパレリの創始者。

1930~1940年代に最も精力的に創作活動を行ったクチュリエール。

その個性的なデザインはイタリア、フランスのみならずアメリカでも人気となり、当時No. 1のファッションデザイナーだった。

イタリア・ローマ コルシーニ宮殿生まれ。

父はオリエント学者、伯父のジョヴァンニ・スキャパレリは高名な天文学者、母も貴族出身という裕福な家庭に育つ。この環境下で多くの文化、芸術に触れる。

エルザは幼少期、自分の事を醜いと思っており、自分の顔をお花畑にしようと、耳や鼻に花の種を詰めたりしたそう。

1914年 結婚。その後ニューヨークへ。アメリカの自由な雰囲気や女性の地位は当時の保守的なヨーロッパにはないもので、この時の経験はスキャパレリの後のファッションに大きく影響したと言われている。

その後、離婚。シングルマザーとして養育費を稼ぐためにバイヤーに。パリへ移住。

当時ファッション界のレオナルド・ダ・ヴィンチといわれていたポール・ポワレに見出されデザイナーに転身。

1930年 自身の名前を冠したブテッィクをオープンする。

エルザの感性は、ダリやコクトーなどとの交友から生まれたコラボを生み出し、ドレス・帽子・アクセサリー等熱狂的にファッション雑誌や顧客に支持されたそう。特に刺激的なショッキング・ピンクが彼女の代名詞だった。

孤児院で育ち、苦労して成功したココ・シャネルと同時代に活躍。ココは、彼女の育ちからくる才能、素っ頓狂なのに繊細で、とびきりシュールなのにハイパーロマンチック、大胆かつエレガントなスタイルに嫉妬した。

1973年、パリで死去。享年83歳。


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