最盛期の資産は300億円!大阪を代表する資産家〜大屋政子〜
10月27日は、日本の実業家、資産家であった大屋政子が生まれた日。
大阪を代表する資産家の一人だった。最盛期の資産は300億円と言われた。
(1920年10月27日・1999年1月16日)
大阪府大阪市阿倍野区北畠生まれ。父親は熊本県天草出身の代議士森田政義。
生粋の「お嬢様」として育つが、1政子19歳のとき、父・政義が亡くなったことにより、没落。
父の威光のなくなった家を助けるために音大を中退して軍の慰問団に参加。歌手としての活動を始めた。
その後、熱心なプロポーズにより、現役大臣であった大屋晋三氏と恋愛するも、大屋は既婚者であった。
27歳の歳の差があったものの結婚。大屋は3度目の結婚だった。
大屋は、帝国人造絹糸株式会社(現、テイジン)の経営者でもあった。
が、玉の輿で略奪婚だといわれた結婚は、実は大屋の会社が徐々に傾き始めており、大屋の先妻の子供の面倒を見たり 大屋が残した負債60億の返済をしていった。娘を育てながら。
独特の高い声とミニスカートがトレードマーク。
宮澤喜一元総理を「喜一ちゃん」と呼び、フランスのミッテラン大統領とも交流があった。
ロッド・スチュワートを敬愛し、大阪公演の際には、フェスティバルホール内にロッド・スチュワート鑑賞のための特別控え室まで用意したほど。その楽屋はロッド・スチュワートのそれよりも広かったそう。
政子は、「舞台芸術振興財団理事長」をしつつ、バレエをこよなく愛し、バレエへの造詣も深く、自らも『大屋政子バレエ教室』や『大屋政子バレエ財団』も設立。
当時、政子の名前のついたバレエコンクールもあったそう。
大阪生まれで大阪育ちの大屋は、大阪を愛し、愛するバレエが大阪でも広まるようにという思いから、海外から著名なバレエ団。招致してくれていた。
1999年、胃がんにより死去。享年78歳。
あの奇抜すぎる衣裳やお化粧が「風水」に基づいてされており、実際の声は低かったそう。
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